よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 越後から百三十五里(五百四十㌔)にも及ぶ、景虎の遊行はここで終わりを告げる。暦はすでに八月十七日となっていた。
 景虎が長尾政景の一行と越後へ戻った頃、直江景綱と宇佐美定満によってあらかたの騒ぎは収まっていた。
 しかし、まったく何事もなかったように景虎の執政が再開されたわけではない。
 家宰の直江景綱に厳しく所業を指弾された大熊朝秀がこれを不服とし、越中国(えっちゅうのくに)へ出奔していたのである。
 そして、越中に巣くう一向一揆(いっこういっき)に紛れ込み、会津(あいづ)の蘆名(あしな)盛氏(もりうじ)と通じて謀叛(むほん)を画策した。
 蘆名盛氏は常陸(ひたち)の佐竹(さたけ)義昭(よしあき)と敵対していたため、武田晴信や北条氏康と結んでいる。そこに大熊朝秀から同盟の申し入れがあり、渡りに船とばかりに呼応した。 
 弘治二年(一五五六)八月二十三日、大熊朝秀は越中一向一揆勢を率いて越後へ攻め入る。
 景虎はこれを迎え撃つべく上野家成と庄田(しょうだ)定賢(さだかた)らの軍勢三千を国境に派遣した。
 騒動の名誉挽回を発する上野家成の奮闘もあり、越後勢は大熊朝秀と越中一向一揆勢を西頸城(にしくびき)郡駒帰(こまがえり)で破り、越中に敗走させる。
 大熊朝秀は会津の蘆名盛氏に泣きつき、この者の仲介で武田晴信の許(もと)へ逃れることになった。
 それを知った景虎は動じる素振りを見せなかった。しかし、内心では煮えたぎる怒りを抱えていた。
 ――やはり、この身を俗世の煩いに引き戻す一番の悪鬼は、武田晴信であったか。そろそろ決着をつけねばなるまい。余が越後へ戻ったかぎりは、信濃(しなの)で好き勝手はさせぬ。
 景虎は武田晴信と雌雄を決する戦いを見据えていた。 
 すでに新たな戦いの火が信濃に燃え広がろうとしていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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