第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
五十四
川中島(かわなかじま)を流れる千曲川(ちくまがわ)の東岸、松代東条(まつしろひがしじょう)の尼巌(あまかざり)城に風林火山の旗幟(きし)が翻っていた。
黒地に金泥で『疾如風、徐如林、侵掠火如、不動如山』の文字が認められている。
『疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し』
晴信が新たな旗印と定めた孫子(そんし)の一節である。
その風林火山の隣に立てられているのが、六連銭(ろくれんせん)の旗幟であり、真田(さなだ)家が掲げる旗印だった。
そして、尼巌城を攻略したのが、信濃先方(さきかた)衆筆頭となった真田幸綱(ゆきつな)である。
昨年末、長尾景虎との戦いは今川(いまがわ)家の仲介で和睦となり、川中島の犀川(さいがわ)を双方の境界としている。晴信は約定に従い、犀川の北側にあった旭山(あさひやま)城を破却したが、南側にある村上(むらかみ)勢旧臣の城を洗い出し、完全な攻略を目指す。その手始めが東条信広(のぶひろ)の籠もる尼巌城となった。
この年、弘治二年(一五五六)の七月中旬から真田幸綱が攻撃を開始し、八月の半ばに尼巌城を落とし、村上旧臣の東条信広は越後に落ち延びる。支城の車(くるま)城も攻め落とし、降伏しなかった栗田(くりた)大膳(だいぜん)を敗死させた。
晴信は松代の一帯を足場として固め、犀川以北を制するための拠点にしようと動いていた。
その意を受け、真田幸綱は城番に任じられた小山田(おやまだ)虎満(とらみつ)、援軍に駆けつけた香坂(こうさか)昌信(まさのぶ)らと今後の策について討議する。
「この城はなんとか奪取できたが、地の者たちの間では、一に春山(はるやま)、二に尼巌、三に鞍骨(くらぼね)と言われているらしい。すでに空城となっている鞍骨城はともかく、高梨(たかなし)政頼(まさより)に奪われた春山城はなんとかせねばならぬ。昌信、そなたは鞍骨城を検分した後、しばらくの間、守ってもらえぬか」
「承知いたしました」
香坂昌信が精悍(せいかん)な顔つきで頷く。
「備中(びっちゅう)殿は尼巌城と車城の守りをお願いいたす」
真田幸綱の言葉に、小山田虎満が答える。
「承知した。して、弾正(だんじょう)殿は?」
「伊賀守(いがのかみ)殿からお預かりした透破(すっぱ)の者どもを使い、まずは春山城攻略の糸口を探りまする」
春山城は尼巌城と同じく千曲川東岸の城ノ峰(じょうのみね)山頂にあり、三里(十二㌔)ほどしか離れていない。
そこに敵方が籠もっている以上は、松代の一帯が安定することはなかった。
「春山城の守将であった綿内(わたうち)満行(みつゆき)に縄張図を描かせてはいかがか」
小山田虎満が提案する。
「なるほど。まずは、敵の構えを知る、か」
「さようにござる」
「では、これらのことを御屋形様にお伝えし、御裁可を仰ぐとしよう」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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