よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 多目元忠からの一報を受けた北条綱成は驚愕する。
 ――武田勢が、それほどの強さとは……。されど、箕輪城の攻略は一筋縄ではいかぬ。無理に力攻めをして思わぬ損害を出さねばよいが。
 地黄八幡と同じような思いを、当の義信も抱いていた。
 ――何だ、この城の大きさは……。まるで逆さにした巨大な擂鉢(すりばち)の上に乗った要害城ではないか……。
 箕輪城は榛名白川によって削られた河岸段丘に築かれた平山城であったが、その段丘の高さは小山に匹敵し、下から攻め上るのは容易ではない。
 梯郭(ていかく)式に配された複数の曲輪はいずれも大きく、堅固な構えを持っている。武田勢の陣取った法峰寺からでは、その全容が把握しきれないほどだった。
 試しに一番近い観音堂口から兵を寄せてみたが、城壁から雨霰(あめあられ)の如く矢が降らされ、手痛い損害を被る。
 ――箕輪城がこれほどの構えとは思わなかった……。上野一の堅城、眉唾ではなかったか。 それが義信の正直な感想だった。
 追い詰めたと思った長野業正を攻めあぐねている最中、甲斐の府中から思わぬ急報がもたらされる。
『越後の長尾景虎、川中島へ出陣』
 雪解けを見計らい、景虎が反撃に出たのである。
「……このまま進まぬ城攻めのために居座ることはできぬ。緒戦での勝ちをよしとし、小諸まで戻るぞ」
 義信はあっさりと見切りをつける。
「若、最善のご判断にござりまする」
 飯富虎昌をはじめとする家臣たちも賛成した。
 義信は多目元忠に北条家への伝言を託し、帰還の支度を始める。
 箕輪衆を排した西上野の諸城は、小幡憲重に後事を任せた。
 そして、義信は四月十八日に小諸へと戻り、兵の大半を信濃の守りに廻した。
 だが、その心中では、「いつか必ず箕輪城を落としてみせる」と誓っていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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