よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 そして、撤退の途上にある高梨政頼の本拠、中野小館(なかのおたて)と詰城の鴨ヶ嶽(かもがたけ)城に火を放って潰した後、尼巌(あまかざり)城まで躊躇(ためら)いもなく戻ったのである。
 驚いたのは飯山城下での一戦を覚悟していた越後勢だった。
 高梨政頼からの連絡によれば、「至急の援軍がなければ城を捨て、越後に撤退せざるを得ない」という内容であった。
 ところが、信濃へ到着してみると、飯山城の周辺に敵の影はまったくない。周囲を警戒してみるが、伏兵が潜んでいるような気配もなく、完全に肩すかしを食っていた。
「叔父上、ご無事にござるか?」
 景虎は城外に出てきた高梨政頼と合流する。
「……何とか、大丈夫だ。武田勢は退いたのか?」
「われらの援兵を聞きつけ、応戦が敵(かな)わぬと見たのでありましょう。到着した時には、まったく姿が見えませなんだ」
「あれほど執拗に追撃してきたのに……」
 高梨政頼は呆然(ぼうぜん)と立ち竦(すく)む。
「われらは武田勢を追いまする。叔父上は兵と近隣の国人衆(こくじんしゅう)をまとめ直してくだされ」
「……承知した」
「では、失礼いたしまする」
 景虎は飯山城に入ろうともせず、そのまま中野小館と詰城の鴨ヶ嶽城の奪還に向かう。
 しかし、この本拠地ははすでに焼き払われ、高梨政頼が戻ることはできそうになかった。
 さらに軍勢を進め、真田幸綱が落とした桝形(ますがた)城(山田要害〈やまだようがい〉)に向かうが、武田家に降(くだ)った山田左京亮(さきょうのすけ)と木嶋出雲守(きじまいずものかみ)は城を捨て、郎党たちを連れて尼巌城へ入っていた。
 蛻(もぬけ)の殻(から)となった桝形城に立ち、景虎は歯嚙(はが)みする。
 ――おのれ、戦いもせず、ただ逃げ回る気か……。
 それから、前回の戦いで使った善光寺横山(ぜんこうじよこやま)へ上った。
 そうした動きの一部始終を武田の透破たちが見ており、逐次、深志城に報告されていた。
 鞍骨(くらぼね)城にいた香坂(こうさか)昌信(まさのぶ)が戻り、真田幸綱、小山田(おやまだ)虎満(とらみつ)らと協議を行う。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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