よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 善光寺横山に陣取った越後勢は周囲を警戒し、しばらく動きを見せなかったが、四月二十五日に甘粕(あまかす)景持(かげもち)の一隊を葛山城へ向かわせる。
 しかし、葛山衆はすでに城から兵粮(ひょうろう)や武具を持ち出し、飯縄山の麓へと逃げていた。
 このことを知った景虎は、甘粕景持の一隊を旭山(あさひやま)城へ差し向け、これを修復し始める。前(さき)の戦で武田勢が和睦の条件として破却した拠点だった。
 それでも真田幸綱は動じなかった。
 同じ頃、武田義信(よしのぶ)が西上野(にしこうずけ)での戦について報告するため、深志城を訪れていた。
「父上、約束いたしました通りに箕輪(みのわ)城を落とせず、まことに申し訳ござりませぬ」
 義信が両手をついて詫びる。
「義信、頭を上げよ。そなたは充分な働きをした。大儀であった」
 晴信が笑顔で言い渡す。
「……はい」
「こたびの西上野出張においては、そなたが野戦で箕輪衆を撃退したことに意義がある。余は最初から城攻めまでを期待しておらぬ。それよりも北条(ほうじょう)家にわれらの武威を示し、緒戦で結果を残したことこそが大事であった。さような意味で、そなたはよく働いた。そして、その成果はすでに出ている」
「……と、申されますと」
「景虎の出陣を知り、北条家からいつでも信濃への援軍に応じると連絡があった。それゆえ、余はさっそく上田への援軍を願った」
「父上、上田での備えならば、北条家からの与力(よりき)がなくとも、われらが担えまする」
「それは違うぞ、義信。余はあえて北条家に必要のない援軍を願ったのだ」
 晴信が笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「景虎はいま善光寺まで出張り、この後はおそらく坂木(さかき)から上田にまで進軍するであろう。それがあの者の遣り口である。その景虎に武田菱(びし)と並ぶ北条家の旗幟(きし)を見せることが、余の狙いだ」
「北条家の旗幟を……」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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