「さよう。景虎は当家が北条家に与力して西上野に出張ったことを知っておる。されど、まさか北条勢が上田に出張ってくるとは、微塵も思うておらぬであろう。その眼に、上田の地ではためく三つ鱗（うろこ）の旗印が焼き付けられた途端、動きが取れなくなる。それだけで充分。直（じか）に戦う必要もない。敵が動いてきたならば、塩田（しおだ）城へ戻って籠城すればよいだけだ。景虎は砥石（といし）城との挟撃を恐れて野戦に出ることはできぬと思うがな」
「……なるほど」
「上田への援軍を率いるのは、北条綱成（つなしげ）だそうだ」
「まことにござりまするか!?」
「氏康（うじやす）殿の計らいだ。間違いなかろう。北条綱成はそなたが丁重に迎えてやれ、義信」
「有り難き仕合わせにござりまする」
　義信は再び平伏した。
「急ぎ塩田城へ戻るがよい」
「承知いたしました」
　報告を終えた義信を追いかけ、同席していた信繁が話しかける。
「見事な働きであったな、義信」
「叔父上のご助言があったからにござりまする」
「謙遜いたすな。上野一の剛将といわれる長野（ながの）業正（なりまさ）を退けたのだ。大したものだ。して、箕輪城はいかがであった」
「……思うていたよりも遥かに大きく、堅固な構えの城でありました。たとえ、もう少し時があったとて、落とせたかどうか……」
「それがわかっただけでも収穫があったではないか」
　信繁が甥（おい）の肩を叩（たた）きながら言った。
「こたび、父上や叔父上は御出陣なさらぬので？」
「今のところは、御下命がない。兄上もまるで碁盤を眺めるように地図の上だけで景虎の動きを追っておられる。こたびは戦わずして勝つ策を取られるそうだ。実際、兄上の策で動いている真田らに対して、景虎は何もできずにいる。その腹いせで景虎が坂木から上田にまで進むと読んでおられるようだ。おそらく、兄上はここから動かぬおつもりなのではないか」
「戦わずして勝つ……。まことにさようなことができるのでありましょうや？」