よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「兄上は常に敵を深く知ることに努め、新しい戦い方を模索なされている。われらもそこから学ばねばならぬ。とにかく、戦わずとも相手から眼を離さぬことだ」
「わかりました」
 義信は深く頷(うなず)いた。
 この嫡男が上田へ戻り、援軍の北条綱成を迎えた頃、それまで様子を見ていた景虎が動き始める。五月十一日に善光寺横山から全軍を進発させ、犀川(さいがわ)の丹波島(たんばじま)へ向かった。
 この一報を受け、尼巌城に緊張が走った。
 翌日、犀川を渡った景虎は、千曲川(ちくまがわ)西岸の篠ノ井杵淵(しののいきねぶち)に布陣し、足軽隊を放って対岸の松代西条(まつしろにしじょう)を地焼きする。これは明らかに尼巌城への威嚇(いかく)だったが、武田勢は鳴りをひそめたままだった。
 だが、この時すでに真田幸綱は六連銭(ろくれんせん)の旗幟だけを尼巌城城に残し、一隊を引き連れて地蔵峠を越え、砥石城へ向かっていた。越後勢が丹波島へ向かったという一報を得て、すぐに晴信の策通り動いたのである。
 さらに翌日の五月十三日、いっこうに反撃してこない武田勢に焦(じ)れ、景虎は篠ノ井から坂木へと兵を進める。村上(むらかみ)義清(よしきよ)の本城であった葛尾(かつらお)城を攻めようとするが、ここも蛻の殻であり、兵粮一粒さえも残っていなかった。
 そうした越後勢の動きを荒砥(あらと)城にいた武田勢二千が遠巻きに見張っていたが、景虎が兵を向けようとした途端、戦いを避けて城内へ戻ってしまった。
 まったく戦おうとしない武田勢に業を煮やし、景虎は上田への入口である下塩尻岩鼻(しもしおじりいわばな)まで先陣を進めた。
 だが、そこで越後勢の先陣は信じ難い光景を眼の当たりにする。
 武田家の旗印、割菱と並んで上田原に三つ鱗の旗幟が翻っていたのである。
 ――北条家の援軍!?……まさか。
 越後勢の先陣大将を務めていた柿崎(かきざき)景家(かげいえ)が眼を見張る。
 ――しかも五色備えといわれる北条家の軍勢の中で、あれは黄備(きぞなえ)ではないのか?……だとすれば、北条家最強と謳(うた)われる地黄八幡(じきはちまん)、北条上総介(かずさのすけ)綱成の一隊か!?……西上野で武田と北条が連合していたとは聞いていたが、かような処(ところ)にまで、両家の結束が及んでいるというのか!?

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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