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第二話 彼女の知らない駅で加藤千恵 Chie kato

 文句を言うでもなく受け入れたのは、ずっとこうしてきたからだ。考えたって仕方ない。わたしたちは違う人間なのだと、一緒に暮らしてからのほうが、より深く思い知らされている。
「わたし、今週の土曜なら、バイトが夜だから、お昼に行こうよ」
 言われた瞬間、あ、まただ、と思う。
 いつもこうなのだ。わたしが傷ついたり、苛立ったりしたタイミングで、柔らかいタオルみたいな態度を示す。あまりのタイミングのよさに、わざとじゃないかと疑ったこともあるけれど、朋香はもともと、計算ができるようなタイプじゃない。
 シンプルな話だ。朋香は、単にわたしのことを心配していて、単に自由奔放なのだ。彼女を形で表すなら、直線ばかりで構成されるだろう。一緒にいると、曲線だらけの自分が、恥ずかしくなったりもするし、正しいのはこちらではないのかと腑に落ちなかったりもする。
 それでもわたしから、同居をやめようとは、一度として言い出さなかった。よぎったことはあっても、その思考は継続しなかった。柔らかなタオルの感覚は、瞬時にわだかまりをほどいてしまう。
 自分は馬鹿なのかもしれない。二人でいると、しょっちゅう襲いかかる感覚だ。
「え、来てくれるの?」
 行くではなく、来てくれる、という答え方が、自分のスタンスをそのままあらわすようで、発してから恥ずかしくなった。もっとも朋香に気にする様子はなく、どこか呆れたような様子で、そりゃあ行くでしょ、と言う。
「麻理恵一人じゃ不安すぎるもん、実際」
 咄嗟に、大丈夫だよ、と言い返そうとして黙った。
 朋香がまばたきをするたびに、そもそも長い上に、毎月まつエクに通い、さらに長くしているまつげが揺れる。
 大丈夫じゃないかもしれない、と思った。
 この部屋を出るのだと考えた瞬間、そんな気がしたのだ。でも絶対に悟られるわけにはいかないと思い、わたしは意味のない微笑みを浮かべて、返事に代えた。

「ここ、いいんじゃない?」
 朋香が立ち止まり、言った。
 駅の反対側に位置するとはいえ、充分に徒歩圏内であるエリアだ。店の前を通ったことは何度となくあったけれど、不動産店だとは意識していなかった。
 壁一面に張り出された物件情報や、「藤屋不動産」というずいぶん年季の入っていそうな看板から容易に想像できることではあったものの、言われてみればここは不動産店だったな、という程度。自分にとって意味のあるものでなければ、人は何かを認識できないのかもしれない。
 こっち側に来る理由はほとんどが、レンタルショップや飲食店を目指してのものだった。DVD観ようよ、とか、今日はインドカレーを食べに行こう、とか。つまり朋香の思いつきによってだけ、わたしはこのエリアに足を運んでいた。自分一人だったら、近くに住んでいるというのに、一年半、訪れなかったかもしれない。



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〈プロフィール〉
加藤千恵
1983年北海道生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業卒業。
2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人としてデビューし、話題に。短歌以外にも、小説、詩、エッセイなど、さまざまな分野で活躍。
主な著書に『ハニー ビター ハニー』『さよならの余熱』『あかねさす――新古今恋物語』『その桃は、桃の味しかしない』など。
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第二話 彼女の知らない駅で
第一話 北欧まで何マイル