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第二話 彼女の知らない駅で加藤千恵 Chie kato

「あ、そうです。わたしの部屋だけです」
 朋香の言葉のせいで、ややこしくなっているのがわかり、わたしはそう言った。畠山さんが、かしこまりました、と言う。その声のトーンが、落ち着いているものに感じられて、もしかしたらこの人は幼く見えるだけで、本当はわたしたちよりも年上かもしれないと思った。
「住所としてはこのあたりで、ということでよろしいですか?」
「ええ。あの、今住んでいる向こう側でもいいんですけど、最寄り駅は今のままで」
 答えながらも、わたしはこの町に住みつづけたいのだろうか、という疑問がよぎる。
 会社に通うためには、一度乗り換えをしなくてはならない。乗り換えてからの路線は、朝は特に混雑しており、座ることはとうてい難しい。どうせ引っ越すのであれば、もっと会社に通いやすい場所を探したって構わないのだ。
 この町に住みつづけるのは、朋香の提案だった。提案というよりも、それについて疑っている様子はないようだった。
 朋香の新しい恋人は、ここと同じ路線、二駅ほど離れた場所に住んでいる。朋香がいなくなれば、この駅に知り合いはいない。かといって、わたしがその縁もゆかりもない場所に、一緒になって引っ越すのは、不自然すぎる。
 もう馴染んでるし、麻理恵は場所を変えたりしないほうがいいよ。
 引っ越しについて話しているとき、朋香が言ったことだ。もう馴染んでる、なんて、どうしてそんなふうに思うのだろう。わたし一人であれば、駅のこちら側に来ることさえないのに。朋香と違ってバイト先もなければ、好きだといえる飲食店の一つも見つけられていないのに。
「だいたいの予算ですとか、ご希望条件はございますか?」
「綺麗なところがいいよね。フローリングで、あと独立洗面台も欲しくない?」
 勢いよく答えたのは朋香で、わたしは、あ、予算は、と考えてきた金額を告げた。さすがに、今の負担額よりも金額が大きくなるのは避けられない。畠山さんはうなずき、少々お待ちください、とパソコンに向かって作業を進める。
「はた……けやまさん? っておいくつですか?」
「わたしですか? 今、二十三歳です」
 朋香の唐突な質問に、畠山さんよりもわたしのほうが驚いていた。畠山さんは、にこやかに、けれど手を止めることなく、入力をしているようだ。
「今年、二十四歳?」
「そうですね」
「あ、じゃあ一つ上だー。めっちゃ近いですねー」
「そうですね」
 畠山さんの声はにこやかだけど、内心機嫌を損ねてはいないか、心配になってしまう。わたしは何も言えずに、朋香が黙ってくれるのを祈る。
「少々お待ちくださいね」
 畠山さんが立ちあがり、他の二人のデスクのほうへと近づいていく。何か相談事でも始まるのかと身構えたが、横を通り、さらに奥にあるファイル棚から資料を取り出すようだった。



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〈プロフィール〉
加藤千恵
1983年北海道生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業卒業。
2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人としてデビューし、話題に。短歌以外にも、小説、詩、エッセイなど、さまざまな分野で活躍。
主な著書に『ハニー ビター ハニー』『さよならの余熱』『あかねさす――新古今恋物語』『その桃は、桃の味しかしない』など。
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第二話 彼女の知らない駅で
第一話 北欧まで何マイル