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第二話 彼女の知らない駅で加藤千恵 Chie kato

男性は、書類をチェックしているのか、さっきまでかけていなかった眼鏡をかけて、うつむいている。あの人が接客することもあるのだろうか。疑問に思ったが、もちろん訊ねたりはしない。
 横目で朋香を窺う。朋香はいつのまにかバッグから取り出した携帯電話をいじっていて、こっちの視線なんて気づいていないようだった。相変わらず長いまつげが、マスカラによって、さらに長いものになっている。出会った頃はもっとナチュラルメイクだったけれど、今と変わらず可愛かった。

 わたしたちが通った短期大学は、都内の片隅にある。学校外の人には、駅名を言っても、なかなか理解されないような小さな駅だ。乗降客のほとんどが、短大の関係者で、学生以外の住民は、かなり築年数の経っていそうな一軒家に住んでいるお年寄りが多い。
 入学式前日、いくつかの手続きがあるということで、登校する必要があった。入学式には母とともに出席する予定だったが、それは一人で行った。
 駅前からバスに乗るつもりでいたけど、同じように短大に向かう様子の人たちがたくさんいたので、波の中の一人となって歩いた。駅から歩いて三十分ほどの道のりは、けして短いとは言えないが、歩くこと自体は苦ではなかった。学校があるせいなのか、あるいは単に住民たちの趣味なのか、街路樹や花が多く植えられていて、いろとりどりの植物たちは、ゆるやかな登り坂をさして苦にならないものとさせていた。
 不安になったのは、だから、距離やロケーションといったものではない。周囲を歩いている子たちの中に、一人で歩いている子がほとんどいなかったことだ。
 中学からエスカレーターで上がってくる、内部進学の子も少なくないというのは、データで見て知っていた。ただ、視界に入る光景は、少なくないどころか、自分以外のすべてを占めているのではないかと思えた。
 パンフレットやホームページで見ていたものより、実際の校舎は小さく古い印象だった。推薦入試のときにも訪れていたはずなのに、予定されていた面接に、あまりに緊張していたせいか、そのときのことはほとんど記憶にない。
「こんなにぼろかったっけ?」
「高校より小さいじゃん」
 そんなふうに言い合う子たちの横を通り過ぎ、扉に向かっていく途中、自分の前をゆっくりと歩く子の後ろ姿が気になった。なぜなら彼女も、自分同様に、一人で歩いていたからだ。
 とはいえ後ろ姿からでも、自分と違う種類の人間だ、というのが伝わってきていた。淡いピンクのコートも、そこから覗いている丈の短い黒のスカートも、同じく黒の、歩くたびに派手な音を響かせているヒールの高いブーツも、わたしは今まで選んだことのない、おそらくこれからも選ばないであろうものたちだ。
 早足のわたしが、ちょうど彼女を追い越そうとしたとき、左腕に感触があった。
 思わず左側を振り向くと、わたしの二の腕あたりをつかんでいる人がいた。後ろ姿をずっと見ていた彼女だった。目が合うと、安心したように笑った。
 可愛い、と思った。大げさに言うと、人形みたいだった。顔が小さく、目が大きく、ぱっちりとしている。



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〈プロフィール〉
加藤千恵
1983年北海道生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業卒業。
2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人としてデビューし、話題に。短歌以外にも、小説、詩、エッセイなど、さまざまな分野で活躍。
主な著書に『ハニー ビター ハニー』『さよならの余熱』『あかねさす――新古今恋物語』『その桃は、桃の味しかしない』など。
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第二話 彼女の知らない駅で
第一話 北欧まで何マイル