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第二話 彼女の知らない駅で加藤千恵 Chie kato

 微笑みかけられる理由はもちろん思い当たらなかった。人違いじゃないですか、と言いたかったが、咄嗟に声が出ないので、ただ黙っていた。口を完全に閉じきらず、相当間抜けな顔をしていたのではないかと思う。
「ひとり?」
 彼女の口から発されたのは、どうやら質問のようだった。語尾が上がっているから判断できたけれど、どうして訊ねられたのかいまいちわからなかった。
「え?」
 まだ人違いではないかと思っていた。彼女はわたしの二の腕から手を離して言った。
「入学生だよね? 一人で来てる?」
 細かく質問されて、ようやく意図がつかめた。
「はい」
 正直に答えると、彼女は、よかったー、と声をあげた。ずいぶん大きな声だったので、近くを通った子が、こちらを見たような気がした。
「ぜんっぜん一人の子を見かけないから、え、わたしだけ? って本気で不安になってたの。超やばいって焦ってた。よかったー。二年間、一人ぼっちで暗黒になるかと思ったよ」
 勢いづいているスピードにも、喋り方にも、暗黒という単語にもひるんだが、話している彼女も、黙っているとき同様に、とても可愛かった。
「あ、名前言ってないよね。わたし、ひろさわともか。広い沢に、月が二つの朋、香りの香」
 唐突な自己紹介だった。やっぱり話が通じにくい、違う種類の人だと数度目の確認を心の中でして、わたしも一応同じように名乗ることとした。
「とやままりえです。富山県の富山に、植物の麻に、理科の理に、めぐ」
「超可愛い」
 こちらが、み、を言い終わらないうちに、言葉を挟まれた。
 どういうことなのかわからなかった。可愛いという言葉がふさわしいのは、誰がどう見ても、わたしではなく彼女のほうだ。
 わたしは地味だ。自分が一番よく知っていた。全体的に貧相なのだ。よく言えばバランスが取れているが、誰の記憶にも残らない、別れた瞬間に忘れてしまうような顔立ちだと、我ながら思う。目も鼻も口も小さく、頼りない。
 訊ねるよりも先に、彼女が言った。
「名前。まりえ、って。超可愛い」
 即座に納得した。ずいぶん久しぶりだったが、初めて人から言われたというわけではなかった。数年前の中学時代は、名前をほめられるたび、名前と合っていない自分の姿を否定されているかのように感じられて苦しかった。
 だから、続いた言葉がとても意外だった。
「すごく似合ってる名前だね」
 聞き間違いかと思った。あるいは皮肉なのかと。でも目の前の彼女は、皮肉からは遠く離れた、柔らかな表情を浮かべている。
「似合ってないと思いますよ」
「なんで? 似合うよ。まりえ、って感じする」



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〈プロフィール〉
加藤千恵
1983年北海道生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業卒業。
2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人としてデビューし、話題に。短歌以外にも、小説、詩、エッセイなど、さまざまな分野で活躍。
主な著書に『ハニー ビター ハニー』『さよならの余熱』『あかねさす――新古今恋物語』『その桃は、桃の味しかしない』など。
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第二話 彼女の知らない駅で
第一話 北欧まで何マイル