連載
ごめん。
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん 加藤 元 Gen Kato

「女子、だってさ。肚(はら)の中の差別意識が見え見えじゃない」
 辞めた岩舘さんは露骨に嫌悪感を示した。
「ひさびさに会ったわ、いわゆる体育会系男子脳の持ち主」
 差別対差別は不毛だなあ、と佑理は思ったが、黙っていた。
 それまでは定年直前、「仙人」という渾名(あだな)の課長だった。いい意味でも悪い意味でも我関せず。口にするのはほぼ「うん」「そうして」「やめてくれ」の三語のみ。あとはただひたすらに決済の判を押す。井上さんも大森さんも岩舘さんも自分も、互いに不満な点はあるにせよ、「男子」の人間関係だって、相当にどろどろと陰湿なものであることは、会社勤めをしていれば見えて来る。仙人課長がいい例で、外まわりの営業でばりばり働いていた時代もあったらしいが、社長の息子に嫌われて事務課課長に降格されたのである。
「仙人は仙人で、やる気がなさ過ぎたけどね」
 井上さんも渋い顔をしていた。
「杉田さんのやる気も、ちょっと方向性に問題がありそうですね」
 佑理が言うと、井上さんはばっさりと返した。
「要するに、さわやか馬鹿でしょ」
 言いすぎじゃないかなあ、と佑理は思った。そのときは、だ。
 杉田課長はしょっちゅう汗をかいていた。夏場は冷房の設定温度を二十度にしてしまう。井上さんも大森さんも岩舘さんも佑理も、肌を粟立てながら二十五度に設定を上げる。すると杉田課長が二十度に戻す。
「あんまり温度を下げないでくださいよ。風邪をひいちゃう」
 大森さんが頼むと、杉田課長は口を尖らせて言い返した。
「だって男は暑がりなんだよ」
 あとで、大森さんはぷりぷり怒っていた。
「不満があれば遠慮なく言え、って言ったくせに、聞く耳もありゃしない。ひと言で終了じゃないの」
 しかし、井上さんや大森さんは、杉田課長より齢上だ。彼女たちに対しては、杉田課長にもまだ遠慮があった。齢下である岩舘さんに対しては、杉田課長はもっと攻撃的だった。
「おはよう、岩舘さん、今日はいつもと髪型が違うね。デート?」
「そういうの、セクシャルハラスメントですよ」
「この程度でそんなことを言うもんじゃないよ。セクシャルハラスメントってのは、どうして結婚しないのかって訊いたり、彼氏はいないのかって訊いたりすることだろう?」
「ハラスメントかどうかは、受けた側が判断することですよ」
 杉田課長はやれやれと肩をすくめてみせた。
「女の子ってのは難しいな」
 むろん、佑理とて無事では済まない。
「吉本さん、ひとり暮らしなんでしょう。休日はなにをしているの」
 薄笑いで訊かれる。
「読書が多いです」
「へえええ、本なんか読んでるの」
 眼をまるくして、驚いた顔をしてみせる。それ以上は、口には出さない。しかし、言いたいことはよくわかる。
 本なんか読んで、彼氏はいないの?



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん