連載
ごめん。
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん 加藤 元 Gen Kato

 電車が駅に着いて、扉が開く。流れ出すひとの波。
 押されるように、駅の階段を下りて、大通りから脇道へ入る。
 いつもは静かな寂しい道が、にぎやかで明るい。一瞬、佑理は戸惑った。そして、気づく。
 今日は二十一日、そこの神社の縁日だ。だから、夜店が出ているんだ。
 屋台は好きだった。ちょっと救われた気になって、足を踏み出す。親子連れがたくさんいる。杉田課長も、奥さんと子供たちを連れて、お祭りに行ったりするんだろうな。部下に対しては無神経でも、奥さんに対しては違うんだろうか。子供に対してはやさしいパパなんだろうか。
 ソースの匂い。お好み焼きか、たこ焼き? おなかが空いたな。
 佑理は足を止めた。
 たこ焼きの屋台ではない。その隣。ずらりとぬいぐるみが並んでいる。白い犬と、茶虎の猫と、こげ茶の熊。パンダ。みな、つぶらな黒い瞳で、佑理を見上げている。
 ぬいぐるみに関心があったのは、二十年も昔のことだ。それも、多くは持っていなかった。ぜんぶ、実家に置いてきた。今住んでいるマンションの部屋にはひとつもない。
 それなのに、佑理は動けなくなった。
「かわいいでしょう」
 屋台の奥から、おじさんがにこにこ顔を出した。
「ただのぬいぐるみじゃないんだよ。喋るんだ」
 おじさんは、白い犬のぬいぐるみを掴むと、佑理の前に突きつける。
「こんにちは、って言ってみてよ」
 佑理は素直に従った。
「こんにちは」
 白い犬は黙っている。
「ははあ、角度が悪いんだな」
 おじさんはぬいぐるみを顔の前に寄せて、大声を張り上げた。
「こんにちはあ」
「コンニチハ」
 ぎいぎいと躰(からだ)を揺すりながら、白い犬が喋った。くぐもった不気味な声だった。
「どうだね?」
 おじさんは得意満面だった。
「ドウダネ」
 白い犬も顎(あご)を動かす。
「おねえさん、お部屋にひとつ、いかが?」
「イカガ」
 要らない。気味が悪い。
「電池もつけるよ」
「デンチモツケルヨ」
 普段なら、断っただろう。二十も三十も並んでいる様子は愛嬌があるが、ひとつだけ取り出されたぬいぐるみはあまり可愛らしく見えなかった。しかも手前に置かれた値札を見たら、三千円もするのだ。
 高い。そんな無駄遣いはしたくない。
 だが、佑理の足は、動かなかった。

 喋る白い犬、三千円。
 買ってしまった。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん