連載
ごめん。
第二話 いつだって俺から、ごめん 加藤 元 Gen Kato

    一

 ごめん、を言うのは、いつも俺だった。
 いつだって、俺が謝った。それでうまく行っていた。
 そうじゃないか?

 杉田敬二郎の胃は重い。昨夜、ひさびさに買って帰った牛丼を大盛りにしたせいかもしれない。
 そもそも、夜食に牛丼をどか食いする破目になったのも、妻の初穂(はつみ)のせいなのだ。
「うちの嫁さん、ご機嫌が悪くてね」
 朝、午前八時四十五分。駅のホームでばったり顔を合わせた同じ課の大森季実子に、歩きながらついつい愚痴をこぼしていた。
「昨日の朝から、家出しちゃったんですよ。息子たちを連れて」
 JR駅の改札を出て歩きはじめる。会社まではなだらかな下り坂だ。歩道に沿ってマロニエの並木が続いている。青く茂った葉のあいだから、薄紅色の穂状の花が突き出している。
「行き先はわかっているんです。たぶん親もとへは帰っていない」
「そうですか」
 大森は鼻をぐずぐずいわせていた。花粉症なのだ。鼻づまりのせいで、ぞうでふか、に聞こえる。今日は晴天である。晩春の澄み渡った空の下、杉だか麦だかブタクサだかの花粉が盛大に飛びまくっているのだろう。
「おそらく姉さんのところでしょう。五歳も違う姉妹なんですが、やたらと仲がいいんです」
 姉妹仲がいいのは、初穂の育った家庭では、母娘の関係がうまく行っていないせいかもしれない。実家へは戻っていないと考えるのは、そのためである。結婚して間もなく大喧嘩をした際も、家を飛び出した初穂が駆け込んだのは、母親のもとではなく姉の住まいだった。
「気の強い姉さんでしてね。独身なんです」
 敬二郎は、吐き棄てるように言った。
「嫁さんは、姉さんとしょっちゅうつるんで昼飯を食ったりしています。それだけじゃない。毎日みたいに電話をかけたりメッセージのやりとりをしたり」
 初穂の姉の早耶(さや)は、ごく若いときに結婚して、ほどなく別れたのだそうだ。現在は雑貨店を経営している。扱っているのは、猫のぬいぐるみや、猫の絵が描かれたコップや皿やポーチや、猫の形をしたイヤリングや指輪。要するに猫専門の雑貨屋だ。下町にある古い木造一軒家を改装した小さな店なのに、かなり儲けているらしい。店からほど近い都心の一等地にある高層マンション住まいで、遊びに来るときは小洒落た高価そうな菓子をみやげに持ってくる。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん