連載
ごめん。
第二話 いつだって俺から、ごめん 加藤 元 Gen Kato

 俺は彼女たちにはずいぶん気を配っている。上司然とふんぞり返るような真似は断じてしていない。気さくに言葉もかけるし、軽い冗談で場を和ませもしている。たまにはケーキも差し入れてやったりもしているからな。嫌われているはずはない。
 職場では、さんざん他人を楽しませ、陽気にふるまっている。だからこそ、家に帰ったらくつろぎたい。自由にのびのびしたい。多少のわがままも言いたい。なのに、嫁さんは家出中と来た。
 何という不運。
「ごめんなさい、なんて言葉は、枕詞みたいなものじゃない?」
 井上が冷静に応じている。
「悪いなんて少しも思っていない。だから同じことを何度も何度も繰り返す」
「で、そのへんを衝(つ)くと破裂するんですよね」
 大森も身を乗り出している。
「謝っているだろう、これ以上どうしたらいいんだ、と逆上してわめき出す」
 ふうん、大森さんの旦那もそう言うのかね。敬二郎の耳がかすかに痛む。俺も初穂に同じような意味のことをよく言うな。
「これ以上も以下もない。同じことをしないでと言っているだけ。そんな単純な願いが通じないの」
 大森は溜息をついてみせた。
「同じ言葉を使っていても、まるで嚙み合わない。ときどきつらくなるときがある」
「人間、それぞれが自分の中で、それぞれに違う言葉の意味を持っているのかもしれない、と思うことがあります」
 考え考え、吉本が言う。
「同じ日本語を使っていても、同じことを話しているわけじゃない。たとえば、山、と言っても、浮かべるイメージはそれぞれ違いますもんね。イメージが重なる部分が多ければその違いは目立たないけれど、言葉によっては正反対の像を抱いていることもあり得る。そういう人間同士がいくら共通の言葉で話したって、通じようがないんです」
 そうね、と井上が頷いた。
「お互いに理解できている。同じことを話している。そんなの、勝手な思い込みなのかもね」
 大森が、ああ、と声を上げた。
「このひと、どうして私の言うことをわかってくれないんだろう。叫びたくなるときがあるけど、それなのね。あれは山でしょう。うん、山だよ。そう口に出しながら、それぞれがぜんぜん別の山の話をしているってことなんだ」
「相手の側に立つなんて、簡単な話じゃないわね」
「よっぽど相手の気持ちを汲み取って、想像できなければ無理ですね」
「想像したって、追いつかないことはたくさんあると思う。相容(あいい)れないって、そういうことよね」
 敬二郎はいまいましい気分になる。
 どいつもこいつも、こざかしい小理屈をこねまわしていやがる。だから女は面倒くさいんだよ。
 耳の奥に、初穂の声が蘇る。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん