連載
ごめん。
第二話 いつだって俺から、ごめん 加藤 元 Gen Kato

 なにか言うことはないのか。家を出たりしてごめんなさい。経緯はどうあれ、まずはそう詫びるのが筋じゃないのか。
「航太が熱を出したの。溶連菌(ようれんきん)だって」
 初穂がいつもと変わらぬ調子で言う。
「園でもらって来たのね。怜士は今のところ熱はないけど、咽喉が痛いと言っているから、うつっているかもしれない」
 つまり、幼稚園を休ませて好都合だったというわけだな。うまいタイミングで家を出たもんだ。
 思いついた皮肉は呑み込んで、またしても深い溜息をついてみせた。
 わかっているんだ。いつもどおり、いつもと同じことだ。どんなに胆に据えかねても、俺が頭を下げるしかないんだ。そうすればまるく収まる。
「おまえを怒らせたのは、俺が悪かった」
 初穂は眼を伏せた。
「やめて」
「え?」
「そういう風に言うのはやめて。本心じゃないでしょう?」
 敬二郎はうんざりした。
 勘弁してくれ。また蒸し返す気なのか。同じことをねちねちとしつこく繰り返す。そしてその都度、俺が折れる。ごめんごめんと言わされる。まったく面倒な儀式、面倒な女だよな。
「あなたは謝っているんじゃない。ことを終わらせようとしているだけ。私の話が聞きたくないだけなのよ。面倒くさいから。そうでしょう?」
「そんなことはない」
 いいや、ある。こんなごたごたはさっさとおしまいにしたい。確かに俺はそう考えている。
「すまないなんて思っていない。あなたの『ごめん』はただの枕詞(まくらことば)よ。意味のある言葉じゃない。自分が悪いなんて考えたことはないでしょう?」
 当たり前だ。どうして俺が悪いんだ?
「お待たせいたしました」
 店員が、盆に載せて来た水とアイスコーヒーを敬二郎の眼の前にしずしずと並べた。
「ごゆっくりどうぞ」
 冗談じゃない。こんな不毛な会話「ごゆっくり」なんかしたくないよ。
 枕詞? そうかもしれない。喧嘩はもう終わりにしよう。そういう意味の「ごめん」だ。俺が悪いの、おまえが悪いの、いつまでも角を突き合わせているわけにはいかないからな。夫婦なんだし、子供たちのおとうさんおかあさんでいなければならない。毎日毎日、にこにこ笑って暮らしていくための「ごめん」だ。
 そのへんは、口に出さずとも、お互いにわかっていたはずじゃなかったのか。なにが気に入らないんだ。
「あなたは自分が悪いとは決して思わないひとよ」
「そうじゃない、と言っても、おまえは納得しないんだろう?」
 初穂は頷いた。
「俺が悪いと認めれば、それで済むのか。この話は終わりか?」
「ほらね。そうやって、すぐに居直るのよね」
 一瞬、初穂は言葉を切ってから、続けた。
「本心を言うわ。私、誕生日くらいは家でのんびりしたかった」
「その話は済んだはずだ。おまえの希望どおりにすると言ったじゃないか」
「そうやって恩を着せてね。だいたい、私の誕生日のお祝いって、誰のためにするものなの? あなたのため?」
「俺は、おまえのためを思ったからこそ、レストランを予約したんだ」



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん