連載
ごめん。
第三話 ごめんね、ママ 加藤 元 Gen Kato

 咲枝は床を踏み鳴らすようにしながら、キッチンに戻る。結婚してすぐに購入した、駅から十五分の3LDKのマンション。キッチンとカウンターで仕切られた南向きのリビングルームは十二畳。北向きの四畳半のひとつが恭介の部屋で、通路を挟んだ向かいの八畳が夫婦の寝室である。シングルベッドが二つ、ぴったりと寄せて並んでいる。しかし、その部屋が夫婦のものであった期間は短かった。恭介が生まれてからは、親子三人の寝室になった。恭介が大きくなるにつれて、ベッドは窮屈になって、はじき出されたのは、晟一だった。恭介が小学校一年生のとき、和室で蒲団を敷いてひとり寝るようになった。
 俺がのけ者かよ。
 晟一は不満げだったが、恭介はぜったいにママと寝たいと頑張ったし、咲枝も息子の肩を持ったのだ。
 その方がいいじゃない。仕事で帰りが遅いことが多いんだしね。
 中学生になって、恭介がひとり自室で寝るようになっても、晟一は恭介の部屋の隣りの和室でひとり寝ている。息子がいなくなったからといって、改めて同じ部屋で寝る気にはならない。それは、夫婦ともに共通の思いであったようだ。かくて、広くなった寝床で咲枝は手足を伸ばして眠っている。なのに、毎晩、眠りは浅い。
 咲枝は六枚切りのパンを二枚、トースターで軽く焼く。顆粒のコンソメスープを湯で溶いて、バナナとヨーグルトをダイニングテーブルに並べる。恭介が中学生になってから、朝食はめっきり手抜きになった。最近では登校時間ぎりぎりにならないとキッチンに顔を見せない恭介は、朝食をろくに食べないのだ。
 晟一がリビングルームにあるTVをつけて、ダイニングの椅子に腰を下ろした。
「パンが焼けたよ」
「うん」
 生返事をして、TVの画面を見ている。視線の先に、朝のニュース番組が流れている。心が時事問題にあるわけではあるまい、と咲枝は見抜いている。番組のはじめと終わりに顔を出す、天気予報の若い女性アナウンサーが好みなだけでしょ。
「今朝未明、神奈川県S市の民家で、住人である八十二歳の女性の遺体が発見されました。首を絞められて殺害されたものとみられます」
 アナウンサーが硬い表情でニュースを読み上げる。
「四十歳の息子が逮捕されました」
 咲枝は眉をひそめた。このごろはこんなニュースばっかりね。
「近所のひとの話によると、容疑者は無職で、家に引きこもりがちだったということです」
 四十歳で無職で、母親と同居。息子に尽くしておさんどんして、挙句の果てが殺されちゃうなんて、まったく浮かばれない話だ。
 恭介がそんな風になったら、どうしよう?
「安田なあ」
 晟一が、不意に言った。
「会ったことがあるだろう。うちの会社の安田。三十五歳でまだ独身なんだ」
 咲枝は首を傾げた。覚えていない。
「あいつもはやいうちに結婚しないといけないよな。いつまでもひとり身っていうのはよくない。先行き悲惨なことになるぞ」
「安田さん、まだ親がかりなの?」
「いいや、ひとり暮らしのはずだ」
「だったら問題はないでしょう」
「家族を持たなければ、一人前とは言えないじゃないか」
 咲枝は口を閉ざした。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
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第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん