連載
ごめん。
第三話 ごめんね、ママ 加藤 元 Gen Kato

     二

 駅のホームで、わああ、という泣き声が起こった。
「言ったじゃないの」
 母親らしき女が、甲走った声を上げている。
「危ないから急に駆けださないでおとなしく歩きなさいって、ママはちゃんと注意したでしょう?」
 三歳くらいの女の子がしゃがみこんでいる。どうやら転んだらしい。
「ママの言うことを聞かなかったあんたが悪いの」
「ごめんなさい」
 しゃくり上げる女の子の躰を、母親はいらいらと抱え起こした。
「立ちなさい」
「ごめんなさいいい」
「どこも怪我していないじゃない。泣くんじゃない」
 気持ちはわかる。わかるけれど、もっとやさしく叱ってあげられないものかしらね。
 思ってから、咲枝は苦笑した。
 やさしくなんて、叱れっこない。毎日毎日、注意のしっ放しで、そんな気持ちの余裕はないのだ。
 ほんの何年か前までは、自分だってまったく同じことを恭介にしていた。

 まだ赤ちゃんのころは、電車にもバスにも乗れなかった。いつ泣きわめくかわからないからだ。夜泣きもひどかったから、近所に対して肩身が狭かった。
「元気な坊やねえ」
 マンションの上階に住む中年の奥さんには、顔を合わせるたびそう言われた。
「お騒がせしてすみません」
 詫びると、奥さんはにこやかに返す。
「気にしなくていいのよ」
 いいわけがない。本当にそう思っているなら、わざわざ口には出さないだろう。すみません、すみませんと、咲枝は頭を下げるしかなかった。
 子育ては、楽ではなかった。だが、恭介の寝顔を見ている時間は、なによりも好きだった。やがて眼を開ける。咲枝を見つけて、にや、と笑う。咲枝の心にあたたかいものが広がる。この子はわたしを求めている。こんなにも求めている。
 この子のためなら、何だってできる。
 心から思うけれど、同時に腹立たしい。子供はまったく自分の思うとおりにならない。もどかしい。
 恭介は、泣き虫だった。意気地がないくせに、すぐに興奮する。はしゃぎ過ぎる。あの女の子と同じだ。闇雲に走り出して、転ぶ。乗り物の座席で跳ねまわって、椅子から転げ落ちる。窓から身を乗り出そうとして窓枠におでこを強打する。必ずといっていいほどへまをするのだ。そして火がついたみたいに泣き叫ぶ。
「静かにしなさい」
 休みの日などに家族三人で外出すると、咲枝は周囲に頭を下げどおしだった。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
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第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん