連載
ごめん。
第三話 ごめんね、ママ 加藤 元 Gen Kato

「うるさくてごめんなさい」
「恭介、まわりのひとたちに迷惑じゃないの。落ち着きなさい」
「あんたひとりの遊び場じゃないんだからね」
 が、頭に血がのぼった恭介には、自分さえ見えていない。走りまわる。女の子にぶつかる。泣かせる。
「ごめんね。痛かったでしょう」
 咲枝は恭介の頭を小突く。
「あんたも謝りなさい」
 高ぶりが鎮まりさえすれば、恭介は素直に従ったものだった。
「ごめんなさい」
 ちゃんと、謝った。

 女の子は、まだ泣きわめいている。
「すみません」
 母親は、女の子を抱えながら、誰にともなく謝り続けている。

 そうだ。あれは、恭介が三歳のときだったろうか。ケーキ屋で、デコレーションされたケーキの飾ってあった小さなガラスケースを倒した。
「ごめんなさい」
 咲枝は真っ青になって謝った。
「弁償します。すみません」
 ぺこぺこする咲枝の横で、恭介は茫然としている。咲枝はかっとなった。
「あんたがぼーっとよそ見しているから悪いのよ」
 咲枝は、恭介を怒鳴りつけていた。一瞬、あっけにとられた恭介は、わああと声を張り上げて泣き出した。
「あんたも謝りなさい」
 金切り声を上げながら、思っていた。泣きたいのはこっちだよ。しかし、母親は泣けない。ごめんなさいすみませんを繰り返すばかりだ。
 親は、子供のために、いったいどのくらい、頭を下げなければならないのだろう。


 ホームに電車が入って来て、母娘の声が聞こえなくなる。咲枝は二人から眼を離して、ふっと首を横に振った。

 謝るのは、常に咲枝の役目だった。恭介を叱るのも、咲枝ばかりだ。晟一は、あとから咲枝に向かってぼそぼそ言うだけである。
「あんまりきつい言い方をするなよ、仕方ないじゃないか、子供なんだからさ」
 咲枝は口の端を歪めて笑う。
「あんたはね、そうしてやりなさい。でも、わたしには無理」
 わたしは、あんたとは違う。一日じゅう、この子と向き合って過ごしているのよ。そして、他人さまにお詫びのし続け。やさしく言い聞かせる心のゆとりはないの。ぎりぎりなの。
 そう、あの時期は、本当にぎりぎりだった。
 だからといって、不幸ではなかった。
 不幸どころか、あれほど幸福であった時期はなかった。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん