連載
ごめん。
第三話 ごめんね、ママ 加藤 元 Gen Kato

 ごめんなさい。
 ほんの二年か三年前までは、恭介はちゃんと謝っていた。涙ぐんで、顔を真っ赤にして、声を震わせながら、ごめんなしゃい、と言っていた。
 保育園に通っていたころ、咲枝が迎えに行くと、ママの姿を見つけた恭介は、ぱっと顔を輝かせて走り寄って来た。
 ママとけっこんする、というのが、あのころの恭介の口癖だった。
「恭介が大きくなったら、ママはおばあさんだ。それでもいいのか?」
 マンションに遊びに来ていた弟の慎次が意地悪く訊ねても、恭介は胸を張ってこたえたものだった。
「いいよ。ママはママだもの」
「愛されているわねえ、ママ」
 慎次が女言葉を使ってからかう。
「姉ちゃん、これまでこんなに男から愛されたことはなかったんじゃないの」
「そうね」
 咲枝は認めた。
「今までもなかったし、これからもないでしょうね」
「そう言いきっちゃ駄目でしょう。旦那さんの立場は?」
「論外」
 咲枝は、心底から思っていた。
 この愛情があれば、亭主なんて要らない。
「あんまり愛し過ぎると、将来が心配じゃないか」
「将来?」
「恭介に好きな女ができたら、つらいだろう?」
「まだまだ先の話じゃないの」
「でも、その日はいつか必ず来るんだよ」
「考えたくない。いつまでもこのままがいい」
「親って勝手だな」
 慎次はまたしても意地悪い眼つきになる。
「だったらさ、恭介が十四歳で童貞をなくすのと、四十歳で童貞。どっちがいいと思う?」
 いくら何でも、たとえが極端過ぎるでしょ。
 半ばあきれつつ、咲枝は返事ができなかった。
「どっち?」
 慎次がにやにやとせっつく。
「十四歳じゃない方」
 慎次は眼をまるくした。
「本気かよ」



      7   10 11 12 13 14 15 次へ
 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん