連載
ごめん。
第三話 ごめんね、ママ 加藤 元 Gen Kato

「あばたもえくぼで恋人の本質が見えないってことですか。そんなことはないと思うんですけどね」
 吉本佑理がいくぶん不満げにおにぎりを噛みしめている。
「むしろ、好きなぶん、好きじゃない部分は厭でも眼に入ってきますよ」
「わかるけど、それでも見て見ぬふりはするでしょう」大森季実子は、なだめるような口調だった。「見えないのと同じことよ」
「本質なんて見えるわけがない。恋愛中は正直じゃないもの」
 咲枝はサンドイッチのビニール包装を握りつぶし、ごみ箱に放り込んだ。
「お互いにお互いが好きなぶん、相手にとっていい人間でありたいと思う。だから、自分を抑えて譲歩する。嫌われたくない、別れたくないから、折れることができる。ごめんなさいも自分から言う。物わかりのいいところばかり見せる。ところがつき合いが長くなると、遠慮がどんどんなくなって、お互いわがままになって来る。いざ結婚となれば、もう本性をさらけ出し合うしかない」
「それが正直になるってことなんですかね」
 独身の吉本佑理は、寒そうに身をすくめた。
「正直じゃない方が、思いやりを持てる。やさしくなれるってことなんでしょうか。そう考えると、結婚に踏み切るのは怖いですね」
「結婚なんか、しないで済むなら、しなくてもいいのよ」
 咲枝は言いきった。思いのほか真情がにじみ出ていることに、自分自身で驚いた。
 恭介が熱を出す。水ぼうそうになる。おたふく風邪にかかる。
 そんなとき、晟一はあたふたするか、どうする、と咲枝に問い返すばかりで、自分からは決して動かない。つき合っている期間は、もっと積極的にきびきび動く、頼りになる男だと思っていた。
 どうしてそんな風に考えていたんだろう。たった今、自分が言った説に従うなら、晟一が自らをそういう風に見せていた、ということになるのだろう。が、咲枝はやにわに自信がなくなる。果たしてそうだったかな。
 友だちの友だち、という繋がりで知り合って、映画が好きという点で話が合って、つき合うようになった。好きだ、という告白は咲枝からした。結婚したい。結婚をする。最終的に決めたのだって、咲枝ではなかったか。二十代後半のあのころ、咲枝は結婚相手を探していた。三十歳までには結婚をする。しなければならないと思い詰めていた。女友だちのあいだでは、無言のうちにそういう圧力が強かった。わずか十数年前ではあるが、あのころはまだそんな風潮が圧倒的な時代だったのだ。
 晟一が下した決断なんて、次に観に行く映画くらいのものだったじゃないか。けっきょく、咲枝の眼には晟一の本当の姿がまるで見えていなかったということなのだろう。
 恋は盲目。何ということだ。大森季実子の方が正しいではないか。
「吉本さん、結婚を考えているお相手がいるの?」
 大森季実子がにやにやと訊いている。梅雨時期に入って、ようやく花粉症がおさまったようだ。
「どうなんでしょう」
 吉本佑理がはにかんでいる。ふうん、と咲枝は思う。外見は悪くないのに異性への媚(こび)がなく、女らしさをあまり感じない。そんなところがかえって好ましかったこの娘にも、春がめぐって来ちゃったというわけか。

 


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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
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第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん