連載
ごめん。
第三話 ごめんね、ママ 加藤 元 Gen Kato

「斎藤くんです。恭介がぶつかったという子ですよ」
「はい、斎藤くんはひざをすりむきました。でも、大丈夫です。元気です。その後も普通に授業を受けています。はい」
 咲枝はほっと息をついた。
 よかった。恭介は、怪我をさせてはいない。
「すぐにA病院へ向かいます。先生、ご心配をおかけしてすみませんでした」
 電話を切る。会話の流れで成り行きを察したのだろう。大森季実子が、心配げにこちらを見ている。
「大丈夫なの?」
 課長が間延びした声で訊く。大丈夫じゃない。咲枝は苛立った。なぜ傍(そば)で聞いていてそれがわからないんだ。このさわやか野郎、自分以外にはまったく関心がないんだな。
「息子が怪我をしました」
 課長は眼をまるくした。
「ひどいの?」
「わかりませんが、病院へ運ばれたそうです」
「早退した方がいいかな」
「申しわけありませんが、そうさせてください」
 咲枝は深々と頭を下げた。
「忙しいときに、本当にごめんなさい」

 ご心配をおかけしてすみませんでした。
 忙しいときに本当にごめんなさい。

 そう。
 わたしは、頭を下げねばならない。
 親だから。

     四

 会社のビルを小走りで飛び出て、咲枝はタクシーを捕まえた。
「A病院へ」
 言ってから、すぐに晟一に電話をかける。コール音が七回。留守番電話に切り替わる。おかけになった電話には、ただ今出ることができません。ピーっという発信音のあとに、メッセージをお入れください。ピーッ。
「咲枝です。恭介が学校で怪我をしたの。A病院に運ばれたんだって。わたし、そちらへ行きますから」
 電話を切って、電話を握りしめたまま、咲枝は唇を噛む。
 恭介。
 怪我はどのくらい悪いのか。骨を折ったのだろうか。ひどいのだろうか。杖をつくようになるのだろうか。のちのち後遺症が残ったりはしないだろうか。
 痛がっていた。痛いのだ。ずきんと胸の奥が痛む。
 赤信号。タクシーが停まる。いらいらとフロントガラスをにらむ。
 はやく青になれ。はやく走り出せ。一刻もはやく着け。



         10 11 12 13 14 15 次へ
 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん