連載
ごめん。
第四話 悪い妻で、ごめんなさい 加藤 元 Gen Kato

「空缶やペットボトルがずいぶん溜まってきたな」
 冷蔵庫を開けて、牛乳パックを取り出しかける季実子の背に、旦那さんが声をかける。
「そうだった?」
「俺、そろそろ出るから、ごみ置き場に出しておくよ」
「悪いですねえ。お帰りは今日も遅いの?」
「なるべくはやく帰る、つもりではいる」
 旦那さんは、声に後ろめたさをにじませながら、言いよどんだ。
「部長のご機嫌次第なんだ。ひょっとしたら今夜もつき合わされるかもしれない」
「大変だね」
 季実子は同情した。季実子自身も、最近やたらと上司から甘えてこられて困っているのだ。夫婦そろって立場まで似るものなのか。おかしな話だ。
「遅くなりそうなら連絡する」
「行ってらっしゃい」
 大きなごみ袋をがちゃがちゃいわせながら、旦那さんが玄関に向かっていく。
「いつもごめんな」
 言い残して、ドアが閉まった。季実子は小さく呟いた。
「こっちこそ、ごめんね」
 旦那さんの耳には、届かなかったであろう、言葉。
 いいやつだ。結婚して十年になるけれど、このひとと一緒になってよかったと、心から思う。
 なにも文句はない。あるはずはない。
 ただ、旦那さんには、胸がどきどきしない、だけ。

 ごめんね。
 私は、悪い妻、なのかも。

 旦那さんが出勤した一時間のち、季実子も身支度をして、マンションを出た。
 青い空に、大きな入道雲がもくもくと立ちのぼっている。夏が来たのだ。午前八時をまわったばかりなのに、日差しがすでにきつい。季実子は日傘を開いた。浅黒く日焼けした男の子たちの乗った自転車が三台続けて歩道を横切る。大声で話をし、笑い合う。季実子は眉をひそめた。小僧(ガキ)どもめ、危ないよ。小学校三年生か四年生くらいだろうか。そういえば、学生はもう夏休みに入った時期だな。結婚してすぐに子供を産んでいれば、あの子たちくらいの年齢になっていただろう。しかし、仕方がない。妊娠はできなかったのだ。病院へ通って、いわゆる妊活をしていた時期もあるが、うまくいかなかった。夫婦のどちらに原因があるともいえないんですよ、と医者は言っていた。要するに、原因不明なんです。そういうこともあるんです。
 四十歳を手前にしたころ、夫婦二人だけで生きていくのもいいじゃないかと、旦那さんが言ってくれた。正直なところ、季実子もほっとした。どうしても子供が欲しかったわけではない。旦那さんのおかあさんが、赤ちゃんはまだなのかと会う都度せっつくのがわずらわしかっただけだ。それで、通院はやめた。
 二十五年ローンで買った、3DKのマンション。いずれ子供部屋に、と考えていた通路側の六畳間は、ストーブや客用布団が詰めこまれた物置になっている。でも、それでいい。仕方がない。
 そう、夫婦二人だけで生きていくのもいい。そうだよね。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん