連載
ごめん。
第四話 悪い妻で、ごめんなさい 加藤 元 Gen Kato

「いずれ機会がありましたら」
 ぱちぱちぱち。季実子は再び指を激しく動かした。メールの相手には、もう書く用件もない。
「明日はどう?」
 しつこいな、こいつ。
「明日もお弁当です。毎朝、うちの旦那さんが作ってくれるんです」
 画面から眼を離さず、きっぱりと言う。
「ああ、そう」
 さすがに杉田課長も撤退せざるを得なかった。すごすごと傍(そば)を離れていく。そのあとに吉本佑理がそっと近づいて来た。
「最近、好かれていますね。お気の毒に」
 耳もとで囁きかける。季実子は溜息をついてみせた。
「奥さんに逃げられて、相手をしてくれるひとがほかにいないのよね」
 だからといって、私はごめんだ。基本的には男に寛大なつもりの季実子も、杉田課長は苦手だった。
 杉田課長が夢に出てきたら、今朝みたいな陶酔感はぜったいにないな。ただの悪夢だ。季実子はかぶりを振っていた。あの男と肌を合わせるなんて、これっぽっちも考えたくない。
「おはようございます」
 井上咲枝が早足で出勤してきた。今朝も眉間にくっきり縦皺(たてしわ)を刻んでいる。
「たった今、廊下で杉田課長とすれ違ったら、ぷうっとぶんむくれて挨拶も返さない。何なの、あのとっちゃん坊やは」
「ちょうど、大森さんにふられたところなんです」
 吉本佑理が苦笑まじりに説明をする。
「相談したいからお昼ごはんをつき合えって、うるさいんですよ」
「奥さんが逃げるのも当然ね。鈍感な男」
 井上咲枝は吐き棄てた。
「きっと、悪気はないんでしょう」
 季実子は微塵も熱を込めずに言った。
「でしょうね」
 井上咲枝は苦い顔つきのまま頷いた。
「悪気がなければなにをしてもいいとのさばり返っている。あの手の鈍感こそ諸悪の根源よ」
「そうですよねえ」
 季実子はふたたび嘆息する。男に好かれやすいのも、いいことばかりではない。
 好かれるなら、杉田課長ではなくて、ほかの男がいい。そう、たとえば、配送業者の里村くん、とか。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん