連載
ごめん。
第四話 悪い妻で、ごめんなさい 加藤 元 Gen Kato

「ゆうべはとても楽しかった。最高のお誕生日プレゼント、もらっちゃった。ありがとうございました」
 はい?
 猫のキャラクターがウインクを投げかけて来る画面を見つめながら、季実子の全身は固まっていた。
 どういう意味なの。何なの、これ?
 トイレの水を流す音が遠くに聞こえた。電気はついているのに、日が沈むように眼の前が暗くなって行く気がした。
 うちの旦那さん、浮気しているの? 旦那さんは、電話を手にしている季実子を見て、立ちすくんだ。
「あ」
 口を開けたが、言葉にはならない。
「あう」
 お帰りなさい、という言葉さえ出ない。ただ、喘(あえ)ぐように口をぱくぱくと動かす。金魚か、と季実子は胸で毒づく。動揺ののち、その程度には立ち直って来ている。
「楽しい会話の最中だったみたいだね」
 旦那さんの眼の前に、ゆっくりと電話を突きつけた。
「どういうことか、説明してくれる?」
 旦那さんの顔からは、すっかり血の気が引いている。
「昨夜は、部長さんのおつき合いで飲みに行ったんじゃなかったの?」
「あのう」
 旦那さんは、眼を泳がせた。
「待ってくれ、説明する」
「嘘をついて、この女の誕生日を祝っていたわけ?」
「説明する」
「できるものなら、してみたら?」
 旦那さんがトイレから出て来る前に、過去のやりとりもしっかり見てしまったのだ。言いわけは通らない。
「会社の部下なんだよ」
「そうみたいね」
「同じ課の先輩とうまく行かなくて、その相談を受けていたんだ」
「部下の人間関係の悩みを聞いていたってわけね」
 旦那さんはほっとしたように頷いた。「そうなんだ」
「誕生日を祝う必要はどこにあるの?」
 このごろやたらと機嫌がよかったのも、どことなく後ろめたそうな態度も、このためだったのだ。いいやつだなどと思い込んでいた、似た者夫婦だと信じていた。季実子こそいいやつだった。おひとよし。いい面の皮。
「たびたび彼女の相談を聞いていたから、お礼をもらった。誕生日プレゼントは、いわばその返礼だよ」
「お礼?」
「このあいだ、持って帰って来ただろう。Yのクッキーだよ」
「思い出した」
 季実子は歯を食いしばった。大好物だ、うまいうまいと喜んで食べた。たまには旦那さんも気が利くなと思った。
 何てことだ、気が利いているのは、その女だった。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん