連載
ごめん。
第四話 悪い妻で、ごめんなさい 加藤 元 Gen Kato

「どうしてそんな無神経な真似ができるの。私があなたになにか悪いことをした?」
 けっきょくのところ、やはり季実子と旦那さんは、似たもの夫婦だったのかもしれない。
 けれど、自分のことは棚に上げて、季実子は旦那さんを責める。旦那さんの気持ちがわかるだけに腹が立つ。責めずにはいられない。
「季実子に落ち度はない。季実子のせいじゃない。俺が悪い。結婚以来、俺たちがあまりに平穏だったからかもしれない」
 わかる。季実子とまったく同じだ。
 だが、断じてそれは口にできない。
「平穏なのが悪いの?」
 なにごとも起きない。友だちのような夫婦。二人だけの毎日。物置になっている子供部屋。
 いつもは気にならないのに、うっすら涙がにじんできた。
「そういう、いい加減な気持ちが、どんなに私を傷つけるか、わかっているの?」
 二人だけの人生。母親にはなれず、ひとりの女にも戻れない人生。涙が糸のように、すぐに棒のような流れになって、季実子の頬から顎へ流れ落ちる。
 私、気にしていたのかな、意外と。
「ごめん」
「謝って済む問題じゃないよ」
 許せない。許したくない。
 頭ではわかっている。季実子には、旦那さんを責める権利はない。似たもの夫婦だ。同じことをしていた。でも、胸が、胆が、許せない。
「あなたは鈍感すぎる」
 井上咲枝が言ったとおりかもしれない。鈍感は諸悪の根源、か。
「本当にごめん」
 旦那さんは頭を深く下げた。
「悪かった。反省している。二度としないよ」
 季実子は無言で鼻水をすすり上げる。
「ごめん」
 旦那さんがティッシュの箱をおずおずと差し出した。季実子はひったくるようにそれを奪い取り、紙を引き抜いて鼻をかむ。
 ぢーん。
「ごめんよ」
 旦那さんだけ、じゃない。
 私も、鈍感だった。
 
 ぐずぐずの鼻に紙を押しつけたまま、うなだれる夫に向かって、声を出さずに言ってみた。
 ぜったいに、ぜったいに口にはできない、ひと言。

 私、悪い妻でした。
 ごめんなさい。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん