連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

    一

 山茶花(さざんか)の木と、八つ手の木が植えられた庭を、信助(しんすけ)は見ている。
 信助の住む家は、そろそろ築五十年の古い木造二階建てだ。右隣りは十年ほど前に改築した三階建ての二世帯住居、左隣りは四階建ての鉄筋アパート、裏は七階建てのマンションである。お蔭で信助の家には一日じゅうほとんど日が差さない。山茶花も八つ手も幹は細く、枝はひょろひょろだ。だが、毎年冬になれば山茶花は美しく白い花を幾つも咲かせるし、八つ手の葉は大きく青く茂っている。
 七月はじめから、八月終わりのこの時期、朝のあいだだけは建物と建物の隙間から、ほんの少しの時間、ひと筋の陽光が伸びて来る。台所から洗面所、風呂場へと向かう廊下の板の間にちょこんと座り込んで、細い光を全身に浴びながら、信助は窓ガラス越しに庭を眺めている。
 八つ手の葉が、がさがさと風に揺れる。やかましかった蝉の声も、このごろはしなくなった。また秋が来るのだなあ、と信助は思う。茶の間からは、TVの音が聞こえる。今朝もおやじが大音量でニュース番組を流しているのだ。
「信助」
 かあちゃんの呼ぶ声が、背後に近づく。
「信助、こんなところにいたの」
 ほっとしたように、かあちゃんは身をかがめて、信助の背中を軽く叩く。
「あら、今日もあの猫ちゃんが来ている」
 一匹の猫が、隣家との境のコンクリート塀の上で、香箱を作っている。
「あの子が顔を見せるようになって何年になるかな」
 もう、五、六年になるね。
 こげ茶と白の、少し長毛種の猫は、かあちゃんや信助の方は見もしない。きっと、かあちゃんが傍に来たからだと、信助は考えている。信助だけのときは、違う。近づいてきて、信助の眼の前に座る。視線は合わせないし、言葉もあるわけはないのだけれど、動作で語りかけて来る。
 おまえ、いつも家の中にばかりいるけれど、外は嫌いなのか。
 信助も、胸の中で応じる。
 外は危ない。ここにいろと、かあちゃんが言うんだ。
 野良猫は、やにわに走り出し、山茶花の幹に爪を立て、そのまま跳び上がって塀の上に乗る。
 できないだろう、おまえにはこんなこと?
 そしてそのまま塀の外へ姿を消す。
「あの子は野良じゃないね。ちっともやせていないもの」
 かあちゃんは信助に話しかける。
「どこかのおうちで餌をもらっているんだよ。野良じゃない」
 違う。
 と、信助は思っていた。眼つきでわかるのだ。あいつは野良だ。肉づきがよく見えるのは、毛が長いせいだ。誰かに餌をもらっているかもしれないが、ねずみや雀も捕っている。一度、庭の敷石のところにねずみの死骸が転がっていて、かあちゃんが悲鳴を上げたことがあったじゃないか。あれはあいつの仕業なんだ。
 けど、信助はかあちゃんに反論はしない。黙っている。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん