連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

「うちで面倒をみてあげられればいいんだけど、ねえ」
 かあちゃんは、本当はそう言いたいのだ。
 けれど、信助はそうなって欲しくはない。あんなやつ、家に入れたら困る。箪笥(たんす)に爪を立て、あちこちに小便をまき散らし、信助に対して無礼な態度をとるに決まっている。猫は、そういう生き物なんだ。
 猫なんて、嫌いだ。
 信助のその気持ちを、かあちゃんは知っている。
「わかっているよ」
 かあちゃんは、手を伸ばす。
「いい子ね、おまえは」
 信助は、かあちゃんにそう言われるのが好きだ。そして頭をぐりぐりされたい。だから、逆らわない。いい子でいるのだ。
「いつまでもいつまでも、かあちゃんのいい子でいてね。約束よ」
 約束する。いつまでも。

 信助は、かあちゃんの息子だ。
 ずいぶん齢をとってから生まれた子、らしい。かあちゃんは、実のところ、ばあちゃんだ。だからこそよけいに信助を可愛いがるのだろう。
「あんたは、あたしの宝物だよ」
 なんてくすぐったいことを、照れもせずに口にする。信助、という名前も、かあちゃんがつけた。
「若いころ、好きだったひとの名前なの」
 かあちゃんは言っていた。
「あのひとと一緒になりたかったな」
 遅すぎる。かあちゃんはもうばあちゃんじゃないか。
「そうだねえ」
 かあちゃんは溜息をつく。
 それだけじゃない。かあちゃんにはおやじがいるじゃないか。
「ああ、いるねえ」
 かあちゃんは、うんざりした表情になる。
「どうしてあのひとと結婚しちゃったんだろう」
 おれに言われても、困る。
「そうだよね、困るよね」
 かあちゃんはゆっくりと首を横に振る。
「もっといろいろな男のひととつき合って、いろいろなことを知ってから、相手を選ぶべきだったんだけどね。あたしが若いころは、とにかく適齢期になったら相手を見つけて結婚しなきゃならないって空気が強かった」
 かあちゃんの言葉から、信助の脳裏にははっきりと映像が浮かぶ。信助にはそういう力がある。
 勤めていた印刷会社の上司から、いい男だから会ってみないかねとおやじの写真を渡される、若い日のかあちゃん。今よりもやせてはいるが、ちょっとぽっちゃりして、裾の開いたスカートから突き出した見事な大根足。短い髪にへんなパーマをかけている。
「当時は流行っていたんだよ。ああいう髪型がさ」
 家に帰って、かあちゃんは両親に相談をする。そりゃ、会わなきゃいけないよ。会ってみなよと両親に促され、上司の肝いりで見合いをする。場所はお堀端にあるきれいなホテルのレストランだ。黒縁眼鏡をかけた細長い顔の細長い男が居心地悪そうにコースのサラダをつついている。若かったころのおやじだ。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん