連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

「感じが悪くないひとだとは思ったんだけどね」
 こんなに肩を突っ張ってサラダをフォークでつつきまわすやつの、どこが感じよかったんだ。
「そりゃ、決めるまでは、デートもしたし、話もしたよ。でも、知り合ったばかりのときに見せる顔なんて、当てになりゃしない。なにせ、向こうにとっても仕事先の偉いさんの紹介だしね。いいところしか見せないようにするに決まっている」
 かあちゃんはいまいましげに吐き棄てた。
「そのころ、信助さんに恋人がいるってわかったばかりだったのがいけなかった。あ、信助さんって、あんたじゃなくて好きだったひとのことだよ」
 わかっているよ。同じ会社で営業だった男だ。髪を短くした、顎の四角い、がっちりした男。笑うと八重歯が見えるんだ。
「その八重歯が、ちょっとあんたに似ているねえ、信助」
 かあちゃんは遠い眼をしてみせる。
「で、自棄になっていた部分もあってね。誰とでもいいからはやく結婚しちゃいたかったんだね」
 他人ごとみたいに言うんだなあ。
「四十何年も前の自分なんて、他人みたいなものよ。見る眼がなかったし、短慮だったんだ」
 はやく言えば、騙されちゃったんだな。
「結果的にはね。おとうさんに関しては、結婚して、ふたりで暮らしてみて、はじめてわかったことばかりだったよ」
 おやじは悪い意味で昔風の男だった。上げ膳据え膳。かあちゃんがどんなに工夫して食事を作っても、うまいともまずいとも言わない。気に入らないと箸もつけず、冷蔵庫から生たまごを出してきてごはんにかけて啜り込む。口に合わなければもう作りませんよ、とかあちゃんが言っても、うなり声しか返さない。入浴は、からすの行水。髪も躰(からだ)もろくに洗わないから、風呂上がりでもくさい。湯舟に蓋をしない。かあちゃんが何度注意をしてもしない。かあちゃんはいつも冷えた湯に浸かる破目になる。
「同じ言葉を使っているはずなのに、通じない人間もいるんだって、かあちゃんは結婚してはじめて知ったんだよ。なにより厭なのは、ぜったいに謝らないこと」
 おやじは、自分が戸締りをし忘れて空き巣に入られたときも、わき見運転をして自動車を電柱にぶつけたときも、ほんのちょっともかあちゃんに詫びなかった。
「ひと言でいいんだよ。悪かった。ごめん。それが言えない」
 それどころか、身近にいたかあちゃんが注意しなかったのが悪かったと責任を転嫁する。
「ひどい人間だよ。こんなはずじゃなかったって、幾度、幾十度、幾百度思ったか知れやしない」
 だけど、四十何年も、おやじとかあちゃんは一緒に暮らしてきたんだ。
「だってさ、ほら、すぐに子供ができちゃったからね」
 言葉が通じない男とのあいだに、どうして子供なんか作っちゃうんだ。
「通じなくても、子供はできちゃうんだよ」
 なぜだ。
「わかりっこないよ。わからなくていい。信助は赤ちゃんなんだからね」
 赤ちゃんじゃないけどな。まあいい、反論はしない。
 つまり、かあちゃんは、おやじが好きじゃないんだな。
「けっきょく、合わないんだね。どうしたってわかり合えない。誰よりも長く暮らしてきたのに、ぜんぜん遠い他人だよ。だからって、ちょっと前までは離婚なんて簡単にできる時代じゃなかったし、こんなご時勢になったからって、今さら別れようという気力もないしね」
 でも、今は、あたしはしあわせだと、かあちゃんは言った。
「あんたがいるからね、信助」



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん