連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

「そんな眼で見ないでよ」
 鏡に映った信助の非難がましい表情を見ながら、かあちゃんはすまなそうに肩をすぼめる。
「お友だちとお買い物に行く約束をしちゃったんだよ」
 断ればいい。
「そんなわけにはいかないよ。あたしから誘ったんだもの。そんなに遅くならないよ。はやめに切り上げて帰ってくる」
 本当に?
「まあ、買い物の後で、お茶くらいは飲むかもしれないね」
 信助はがっくりする。
 知っているよ。かあちゃんの場合、そのお茶が長いんだ。
「ごめんよ、信助」
 かあちゃんは信助を拝むようにして言う。
「たまには遊んでこないと、息が詰まっちゃうんだもの」
「これから出かけるのか。おれはどうなる?」
 言ったのは、信助ではない。いつの間にやら背後に来ていたおやじである。
「おい、おれはどうするんだ」
 鏡の中のかあちゃんはうんざりした顔つきになった。
「出かけることは、一週間も前から言っていたでしょう」
「聞いていない」
 そう。おやじはいつだって、かあちゃんの話は聞いていない。
「おれはどうするんだ。めしはどうするんだ」
「そんなに遅くはなりませんよ」
「何時に帰ってくる気だ」
「夕方です」
「何時だ」
「おなかがすいたら、ごはんが冷凍してあるし、冷蔵庫の中にもお鍋が入ってます。温めて食べてよ」
「鍋って、何だ」
「カレーよ」
「昨日の残り物か」
「気に食わなきゃ、外でなにか買ってください」
「相変わらず勝手だな」
 おやじは不満げに言い棄てて、その場を離れた。どすどすと足音を立て、トイレの扉をばたんと閉める。
「どっちが、よ」
 かあちゃんは唇をひん曲げた。
「おれはどうする。めしはどうする。自分で始末をつけなさいよ。赤ちゃんじゃないんだからね」
 そうだそうだ。信助は頷く。おやじは文句を言うべきではない。
「その点、あんたはいい子だよ、信助」
 かあちゃんは信助の頭をぐりぐりした。
「あんなしみったれた文句は言わないものね」
 実のところは言いたいんだと、信助は思う。
 言わないだけ。



     6    10 11 12 13 14 15 次へ
 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん