連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

 いつものことだ。
 かあちゃんが玄関の扉を開けて、鍵を閉めて、路地を歩きだす。信助はすっかりあきらめて、庭が見える廊下に座っている。
 かあちゃんは、ときどきこんな風に、ふっとお出かけをする。
 友だちとお花見に行ったり、歌舞伎を観に行ったり、孫の顔を観に行ったり。半日で帰ってくるときもあるし、泊まりのときもある。
 寂しかった?
 帰ってくると、かあちゃんは信助に訊く。当たり前じゃないか。信助はかあちゃんの胸に頭をこすりつけて、自分の気持ちを訴える。
 ごめんね。
 かあちゃんは信助の頭を撫(な)でる。
 あたしだって寂しかったよ。でもね、たまにはね。たまには外の空気を吸わないと、息が詰まっちゃう。おとうさんと一日じゅう家にいたって、楽しいことはなにもないもの。
 信助は深く納得する。
 やはり、おやじが悪いんだ。
「信助」
 おやじの声が近づいて来た。
「こんなところにいたのか」
 信助は舌打ちをしたくなる。うっとうしいじいさんだ。
「寝ていたのか、信助」
 ああ、だが、おやじのせいで眼が覚めちまったよ。
「ここは涼しいか」
 暑苦しいおやじが来るまえまではな。
「なるほど、板の間はひんやりしているし、風は通るし、俺もここで昼寝するかな」
 だったら、おれはあっちへ行く。おやじがいると気温が上がるんだ。ついでに不快指数もな。
「このごろの夏は暑すぎる」
 おやじは低い声でぼやいた。
「俺が子供のころは、夏休みだってこんなに暑くなかったぞ。海水浴へ行っても、寒くて水が冷たくて、唇が紫色になったりした」
 唇だけじゃなく、全身が紫になって、凍え死んじゃってもよかったよ。
「そういえば、せっかく海に行ったのに、台風が来て三日間、宿にこもりきりだったこともある」
 おやじは二年前、熱中症で倒れて救急車で病院へ運ばれた。そのあとしばらく、おまえがエアコンをつけないからだと、かあちゃんをねちねちと責めていた。だって、信助は冷房の風が嫌いなんだもの。かあちゃんは信助のせいにしたけれど、本当はかあちゃんだって冷房が嫌いなのだ。
 だが、いくら嫌いでも、かあちゃんやおやじに冷房は必要みたいだ。じいちゃんとばあちゃんなのだから。
「昔はこれほど暑くなかった」
 おやじはくどくどと同じことばかり言っている。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん