連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

     三

 かすがいって、何だろう。
 同じ言葉を、信助は「兄」からも聞いたことがあった。
「おまえはかすがいだからな」
 何年か前の正月、いくらか酔っ払ったとき、確かにそう言っていた。
「おやじとおふくろを、ちゃんとつなぎとめておいてやれよ」
 そうしたきゃ、おまえがやればいいだろうと、そのとき信助は思ったのだ。信助とは年齢のだいぶ離れた「兄」。信助が物心ついたころには、すでに家を出ていた。だから、一緒に育ったわけではない。
 それでよかったと思う。信助は「兄」が嫌いである。おやじよりもっと嫌いだ。てかてかした顔も、栗みたいな髪型も、野太い図体もみな気に食わない。とくに嫌いなのは声だ。おやじに似てはいるが少しだけ高く、咽喉のあたりでいったんごろごろと絡んだような声。信助の耳にはひどくさわるのだ。
「かあちゃん、腹が減ったよう」
 たまにひょっこり顔を出すと、いい年齢(とし)をして、甘ったれた口調でかあちゃんにべたべたする。
「かあちゃん、俺のあれ、どこへやった?」
「あれって、なによ」
「あれだよ。わからないかなあ。高校のときに使っていた、あれ」
「わからないよ」
「仕方ねえなあ。もういいよ」
 いまいましげに横を向く。なにさまなんだ。しかし、もっと腹立たしいのは、かあちゃんがそんな態度を許していることだ。
「ごめんね」
 悪くもないのに、謝りさえする。いかにも嬉しそうに台所に立って料理を作り、茶の間でだらだら過ごしている野郎をもてなす。おやじが同じことを言ったりやったりしたら、ぷりぷり怒って文句を言うだろうに、何なんだ、この差は。信助は不思議で仕方がない。
 嫌いの上を行く。大嫌いな人間だ。
 その点は、「兄」の方でもご同様らしい。
「わ」
 家に来て、信助と顔を合わせると、決まって腰が引けている。
「いた」
 理由はわからないが、どうやら信助に対して漠とした恐怖心を抱いているらしい。内心の殺意を読まれているせいかな、と信助は思っている。
「どうだ、調子は、うん?」
 怖いのだ。手を伸ばせば引っかかれる。撫でれば噛(か)まれる。背中を向けたら襲われる。この男は、そうした恐れを持っている。
 正しいな。そのとおりだ。
「相変わらず、眼つきが鋭いな」
「そんなことはないよ。可愛いよ」
 かあちゃんが横からにこにこと言葉を挟む。
「親馬鹿の典型だな」
 野郎は、ふふんと鼻先で笑いやがる。
「愛嬌のかけらもない顔じゃないか、こいつ」
 ああ、おまえに対してはな。
「愛想がない」
 誰がおまえなんかに媚(こび)を売るか。
 言うことなすこと、すべて気にさわる。かあちゃんも変なのを産んだものだ。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん