連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

 トイレに行ったついでに、庭を眺めた。
 闇が下りた庭に、あの野良猫の姿はない。だが、信助はそっと胸で呟いた。
 そのままで満足かって? 満足だよ。
 うるさい子供(ガキ)どもにも、わずらわされることはなくなったし、かあちゃんはおれがいなければ駄目なんだ。
 満足だよ、とても。

     四

 夕方。
 雨はまだ降り続いている。
 かあちゃんが帰ってきて、留守をしたお詫びのようにたっぷりとごはんをお皿に盛ってくれた。が、信助はいつものように食欲がわかなかった。
「おなかすかないの?」
 空腹どころではない。胃が重く、むかむかして、我慢しきれず吐いた。
「どうしたの」
 吐いてから水をがぶ飲みして、また吐いた。吐き気はなかなかおさまらない。ぐったりと横になって、こみ上げる不快感と戦うしかなかった。
 うええ、気持ち悪い。
「おとうさん」
 かあちゃんが尖った声で、おやじに詰め寄っている。
「あたしがいないあいだ、この子にへんなものを食べさせたんじゃないの」
 食わせたよ。ビスケットだ。
「知らん」
 しかし、おやじのことだ、正直に答えはしなかった。
「拾い食いでもしたんだろう。こいつはいやしいからな」
 無礼なことを言うな、嘘つきおやじ。
 腹は立つが、それどころではない。寝ていてもぐらぐらして眼がまわって、躰に力が入らない。
 何時間経っても、夜になっても、信助の体調はいっこうに回復しなかった。
「心配だわ」
 かあちゃんが呟く。
「寝てりゃそのうちなおるだろう」
 のんきな声を出すのはおやじだ。犯人はおまえのくせに。
 眼を閉じて、眠ろうとしても、胃のむかつきに引き戻される。それでも少しはまどろんでいただろうか。
 かあちゃんは信助を抱き上げて、キャリーバッグに入れた。
「お医者さんに電話をかけたら、時間外でも診てくれるってさ」
 病院か。
 信助は慄然とした。病院は大嫌いなのだ。
「よかったね、信助」
 ちっともよくない。



         10 11 12 13 14 15 次へ
 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん