連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

 病院なんてごめんだ。クリーム色のビルの一階にある、白いペンキ塗りの一角。重いガラス扉を開けると、図体のでかいむさ苦しい犬がうろうろして、毛が縮れたおかしな犬もきゃんきゃんと変な声を出して、やつらの吐く息や消毒薬のにおいがぷんぷんたちこめて。
 行きたくない。
「診てもらえば、すぐによくなるよ」
 厭だ。
 よくなんてならない。かえってひどい目に遭わされる。
 くさい待合室も不愉快だけれど、名前を呼ばれて奥の部屋に連れ込まれてからが地獄のはじまりだ。顔半分をマスクで隠した白い服の男が現れて、猫なで声を出す。
 信助ちゃん、どうしたのかなあ。
 そしていきなり尻の穴に体温計を突き刺してくるんだ。厭だ。厭だ。
「さ、行きましょう」
 厭だ。
 にゃああああああ。

 逆らいきれるはずはなかった。
 土砂降りの雨の中、信助は病院に連行され、診察台に乗せられ、尻の穴に体温計を刺された。
「三十八度五分。平熱ですね」
 屈辱に震える信助を見下ろしながら、医者が言った。
「脱水症状が強く出ています。点滴を入れておきましょうか」
 変態野郎め、殺してやる。
 くわっと口をひらいて威嚇する信助を、かあちゃんがなだめる。
「おとなしくしなさい。あんたの悪いところを診てもらっているんじゃないの」
 医者は苦笑した。
「元気はあるようですね」
 信助はうなり声を上げ続けた。倒れるなら、おまえを殺ったあとだ。
「それじゃ、注射しますね」
 医者がぶっとい注射器を持ち出す。かあちゃんが信助の首根っこをぎゅうぎゅうと押さえつけた。
 あっ、なにをするんだ、かあちゃんまで。
「じっとしていてよ」
 次の瞬間、背中のあたりに、焼けつくような衝撃が走った。
 痛えじゃねえか。なにしやがる。
 うめく信助の耳もとで、かあちゃんが囁きかける。
「辛抱しなさい、信助。あんたのためなんだよ」
 かあちゃんまで、かあちゃんまで。
 裏切者。
「終わったよ、信助ちゃん」
 医者が言う。



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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん