連載
ごめん。
第五話 かすがい 加藤 元 Gen Kato

「悪かったよ。反省している」
 おやじは沈痛な面持ちで繰り返した。
「元気になってくれ。すまなかった。これからは気をつける」
 やろうと思えば、できるんだな。謝れるんじゃないか、おやじ。
「死なないでくれよ。おまえは、かすがいだ」
 がらがら、と、風呂場の引き戸を開ける音がした。かあちゃんが風呂から上がったのだ。
「かすがいなんだ。かあさんと俺との」
 おやじは座椅子からすっと離れて、部屋を出る。そして、みしみし廊下を踏んで、誰もいない二階へ上がって行く。
 ひとりきりで眠るために、ベッドへ戻っていく。

「おとうさん、ここに入ってきたみたいね」
 かあちゃんがタオルで髪を拭きながら戻ってきた。
「あんたの具合が悪いっていうのに、ぼんやりしているばかりで何の役にも立たない。うろうろして欲しくないね、まったく」
 本当にな、と信助は思う。
 でも、おやじ、ちょっとは救いがなくもないんじゃないかな。うん。ほんのちょっぴりだけどさ。
「よくなってね」
 かあちゃんがかがみ込んで、信助の頭に軽く触れる。ぐりぐりじゃなく、そうっと撫でる。
 信助は、かあちゃんの顔を見返す。
「なあに?」
 もしも信助が、言葉を持っていたなら。
 言葉で言えるなら、こう言いたかった。

 ごめん。

 今日じゃない。
 けれど、いつか、遠くない日。
 おれは、かあちゃんのもとを去る。
 かすがいでいられない日が来る。
 おれは齢をとっていく。そして、いなくなる。あとに、かあちゃんを残していく。かあちゃんはきっと悲しむだろう。おやじとのあいだには、今以上の沈黙が続くだろう。おやじはTVをつける。大きな音。笑い声。かあちゃんは耳をふさいで横を向いて、そこにはいない信助に話しかける。
 信助。
 あんたがいれば。
 あんたさえいてくれたら、あたしはなにも要らないのに。
 どんな子より、大切な、あたしの可愛い子。

 わかっている。
 信助は、かあちゃんに、そっと謝る。
 おやじにも、ちょっとだけ思う。


 ごめん。


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〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん