連載
ごめん。
第六話 電話家族 加藤 元 Gen Kato

     一

 りーん。
 電話が鳴った。
 確かに、鳴った。

 よっこらしょ、と声を出して立ち上がって、木崎春子(きざきはるこ)は茶の間から薄暗い廊下に出た。畳から、板の間への一歩。まだ十月のはじめなのに、床が冷たい。今年は秋の訪れがはやいようだ。
 りーん。
 茶の間を出て、玄関へ向かって五歩。木製の古びた小さな電話台。その上に鎮座しているのは、昔ながらのダイヤル式の黒電話だ。こんな電話、骨董品だよ。昭和の遺物だ。今どきどこへ行っても見かけない。買い替えようよ。そんなに高価なわけでもないんだしさ。娘や息子から、三十年越しに幾度も言われ続けて来た。プッシュホン形式がいい、にはじまって、留守番電話が必要だの、ファックス付きにしろだの、うるさくせがまれたものの、その都度突っぱねて来た。
 うちにはこの電話でじゅうぶん用は足りています。ダイヤルしては戻る、その時間がじれったい? だったらかけなきゃいいでしょう。電話番号を記憶できる機能? 要らないよ。ちゃんと手書きでアドレス帳を作ってあるじゃないの。留守番電話? 重要な用件なら、先方から何度だってかけて来るでしょうよ。
 黒光りする電話機。家族みんなの手の脂と汗と唾液にまみれ、経年の汚れがにじみ出たダイヤル部分。拭き掃除をするたびに思う。これまでたくさん役に立ってくれたし、今だってきちんと務めは果たしている。新しいものに変える必要はないのだ。
 りーん。
「はいはい」
 呟いてから、受話器を持ち上げる。かけて来たのは、きっと娘の咲枝だ。春子は去年の年末、心臓発作を起こして入院をした。退院してからは毎晩、咲枝が電話をかけて来るようになったのである。
 もしもし、と口に出す前に、娘との会話の流れは予想がついている。咲枝の電話は、いつも簡潔だ。
 もしもし、おかあさん。あたし。どうなの?
 低く、不愛想な口調は、自分に似ている。春子も低い声で応じる。
 無事よ。
 咲枝は、よかった、と返す。話すことは、もうない。五秒から十秒の沈黙ののち、咲枝は言う。
 玄関の戸締りはした? ちゃんと鍵はかけなきゃ駄目だよ。物騒な世の中だし、昔と違っておかあさんはひとり暮らしなんだからね。
 わかった? じゃ、おやすみ。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん