連載
ごめん。
第七話 ナニサマ 加藤 元 Gen Kato

「この話には続きがあってさ。このごろじゃ、例のおばちゃん、すっかり仕事に慣れたみたいでね」
「よかったね」
「態度がでかいの」
「よくないね」
「キャベツひと玉、平気でパンの上にのせちゃうの」
「それは、文句を言わなきゃいけないね」
「言ったよ。そうしたら、はいはいすみませんでした、とふとい声で返された。ぐれちゃったんだよ。そうなるとかえって誰も文句言わないんだから、おかしなものだよね」
「そのおばちゃん、今度は新人をいびる側にまわりそう」
 楓子が言うと、母親は横を向いて、吐き棄てるように言った。
「つまりね、そういうことだから、私は人間が苦手なの」

 楓子の知らない、若いころの母親に、いったいなにがあったのだろう。

「私が死んでも、お葬式はぜったいしないでね」
 母親の口癖だった。
「あんたとおとうさんと猫たちしか、私を知らないんだから。あんたとおとうさんだけで見送ってよ」
 再発はないと信じていた。いいや、信じたかった。
 転移が見つかって、再入院、再手術。退院して、また入院。今度は帰ってこなかった。
 そして、母親の遺言どおり、楓子と父親の二人きりで、火葬場で母を見送ったのだった。

 庭の植木を手入れするのは、楓子の仕事になった。
 母親が亡くなってからも、花は咲く。辛夷(こぶし)が咲いて連翹(れんぎょう)が咲く。当たり前のことが、不思議な気がした。花は母の死を知らない。ただ、咲く。
「おかあさん、亡くなられたんだそうですね」
 隣家の安井さんに話しかけられたのは、母親が死んで二ヵ月が過ぎたころだった。楓子は玄関前のアイビーと八つ手の大鉢に水をかけていた。
「お知らせもしてくれなかったんですね」
 咎(とが)めるような口調だった。
「すみません」
 楓子は頭を下げた。
 母親の遺志だったんです、と続けるのは、やめた方がいいだろうか。安井さんは五十代の半ばか後半。小柄な女性だ。長いあいだ隣りに住んではいるが、挨拶以上の会話を交わしたことはない。正直なところ、楓子は安井家の家族構成すら知らなかった。隣家について、母親は噂話もほとんどしなかったのだ。ただ、つき合いはしたくないと言うばかりだった。
「そこの八つ手の鉢植えですけどね」
 安井さんは指を差した。
「雨が降ると、中の土がこぼれて、それがうちの前まで流れて来るんです。いつも掃除が大変なんですよ」
「そうなんですか。すみません」
 楓子はふたたび頭を下げるしかなかった。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん