連載
ごめん。
第七話 ナニサマ 加藤 元 Gen Kato

「それからおたくの庭の枇杷(びわ)の木のことですがね」
 安井さんは眼を据えて、口を尖らせていた。
「落葉がうちの庭にたくさん落ちて来るんです」
 枇杷の木は、楓子とほぼ同じ年だった。かなりの大木に育っていて、六月には多くの実をつける。毎年、食べきれなくて困るほどだった。
「すみません」
 楓子はまたしても頭を下げた。
「落ち葉だけの話じゃない。枝が伸びて、うちのベランダの方に突き出しているんです」
 母親が元気なころは、植木屋を呼んでいたはずだ。だが、去年から母親の体調が悪化して、庭に注意を向ける人間がいなかった。枇杷の木は生き生きとやりたい放題だったのだ。隣人の不満は溜まりに溜まっているようだった。
「すみません。今後、気をつけますので」
 言いかけるのを、安井さんの言葉が遮った。
「おかあさんが生きていらしたときにお話をしたんですけどねえ。枇杷の木を処分してくださるようにね」
 処分しろ? そこまで言ったの?
 楓子は耳を疑った。
「そうしたら、生きているものを殺したくはないと、おかあさんはおっしゃるんです」
 いかにもいまいましいことのように、安井さんは言った。
「そう言ったんですか、母が」
 楓子は胸が詰まった。
 生きているものを殺したくはない。自らの病気を知り、闘っていた母親の言葉だ。どんな思いで母親が植木を手入れしていたか。ようやくわかる気がした。
「仕方ないから、こちらも譲歩したんですよ」
 だが、当然、隣家の住人からすれば、母親の思いなどは当然知ったことではない。
「きちんと植木屋を呼んで手入れをして、迷惑はかけないようにするというお返事でしたから、こちらも辛抱したんです」
 辛抱?
 もはや頭を下げようとは思えない。楓子は奥歯を噛(か)んでいた。
「いくらおかあさんが亡くなられたとはいえ、約束は守っていただかないとね」
 つまり、自分としては木を切り倒してほしかったのに、母親はそれを断った。基本的にはそれが不満なのだ。だから譲歩した、辛抱したと言いたいわけだ。
「まあ、あなたに木を処分してくれとは言いませんよ。おとうさんがいらっしゃるわけですからね。あなたが決められる立場ではないでしょう?」
 わたしの立場がどうしたって?
 胆(はら)の底に、不穏な波が立ってきた。
 ――私が死んでも、お葬式はぜったいにしないでね。あんたとおとうさんだけで見送ってよ。
 いつまでもねちねちと話を続ける隣人を前にしながら、ようやく腑(ふ)に落ちた。
 ――私は人間が苦手な人間なのよ。
 わかった。あんたみたいな人間がいたから、だから、おかあさんは。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん