連載
ごめん。
第七話 ナニサマ 加藤 元 Gen Kato

     三

 謝りなさいよ。
 嵩(かさ)にかかった、甲走った声で詰め寄られたのは、母親を見送ってから、三ヵ月が過ぎたころだった。

「鍋島さん、話があるの」
 会社の昼休み、女子トイレの前で、いきなり浴びせられたのだ。
「傷ついたのよ、あの子。謝りなさいよ」
 眼尻を吊り上げた、憤怒の表情。楓子は戸惑った。
 そもそも、この女、誰よ?
 いいや、名前は知っている。確か池田さんだ。楓子よりは二年ほど後輩のはず。だが、違う部署で、これまで口を利いたこともない。
「ぜんぜんわからないんだけど、なにを謝れって言うの?」
「とぼけているの? 宮本さんのことよ」
「宮本さん?」
 胸を強く押されたような衝撃。宮本泰成(やすなり)は同期の社員だった。入社してすぐ大阪勤務になり、一年前に東京に戻って来た。
 昼めしなら、どこの店がおすすめかな。鍋島さん、教えてよ。
 そんなひと言からはじまって、親しくなった。昼食のあとは、退社後の一杯。ともに過ごす時間はどんどん長くなった。母親の病状がどんどん悪化するなか、落ち込みがちな楓子の心の支えになってくれた男だ。
 現在では、ただの同僚ではない。恋人だった。少なくとも楓子にとっては。母親にも打ち明けた。
 よかったじゃない。あんたの好きなひとに会いたいな。
 母親は嬉しそうだった。会わせたいと思ったし、会わせるつもりだった。だが、母親の容態が急変して、それができなかった。
 おかあさんに会いたかったな。心残りだよ。
 母親の死を告げたとき、彼はそう言ってくれたじゃないか。
「宮本さんは、大阪本社のスギハラカナちゃんと、何年も前からつき合っているの。結婚する約束もしているんです」
 池田さんは、鼻の穴をふくらませて、言い募っている。
「あんたがしていることは不倫と同じよ。どういうつもり?」
 本当に、どういうつもりなんだろう?
 池田さんの、塗りたてたファンデーションを溶かすほど火照った顔を見ながら、ゆっくりと楓子は理解した。
 宮本泰成。あなたはわたしのたったひとりの恋人だった。でも、あなたにとっては違った。そういうわけなのね。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん