連載
ごめん。
第七話 ナニサマ 加藤 元 Gen Kato

「謝りなさいよ」
 池田さんが吼(ほ)える。楓子は答えた。
「あなたに謝る必要はない」
 池田さんは眼を見開いた。
「わたしは彼にそんな相手がいるなんて、今の今まで知らなかった。それに、あなたはスギハラカナさんじゃない。他人でしょう」
 彼からは訊かれた。
 鍋島さん、彼氏はいる? 
 いない。大学のころからつき合っていた男とは、三年前に切れた。
 だったら、俺とつき合わない?
 たぶん、あのときに訊き返すべきだったんだろう。宮本さんこそ、恋人がいるんじゃないの? 彼は素直に答えただろうか。
 実はいるんだ。スギハラカナって娘だ。結婚の予定もある。でも、きみとも仲良くしたい。
 正直に言ってくれたら、よかった。にっこり笑って席を立って、それきりだったのに。
「知らなかった、なんて言いわけが通用すると思っているの?」
 池田さんがきりきりと奥歯を噛む。
「ずうずうしい女ね、あんた」
 声を出さずに、楓子は力なく呟いた。
 ずうずうしいのは、むしろおまえじゃないのか。

 その夜。
 帰宅した楓子は、深く深く落ち込んでいた。
 父親はまだ帰って来ていない。家の中は真っ暗で、空気はひんやりとしている。三毛のプーコが死んでから、母親がどこかから引き取った虎猫のプータがふにゃふにゃ啼きながらすり寄ってくるのを、足で押しのける。
 ただいま、おかあさん。
 楓子は呟いた。
 おかあさんがいれば。いてくれればよかった。今日のひどい一件を聞いてほしい。そして、一緒になって怒ってよ、おかあさん。
 居間の明かりをつけ、ふらふらと浴室へ向かう。プータがしつこくじゃれて来るのを、また足で押しのける。シャワーを浴びて、思いきり泣きたかった。
 あの男、問いただしたら、何て言ったと思う?
 ごめん、だって。
 ごめんで済むかよ。
 俺、楓子のことも本気で好きだったんだ、だって。
 ふざけるな、あの男。あいつのせいで、わたしが悪役になっちまった。
 脱衣所で服を脱ぎ棄て、ガスを点(とも)し、シャワーの栓をひねった。ほとばしる水が湯に変わる。手で温度を確かめて、ちょうどいい熱さになった湯の中に身を入れる。そのとき、呼び鈴が鳴った。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん