連載
ごめん。
第七話 ナニサマ 加藤 元 Gen Kato

「どうしたの」
 厨房にいた佐々木ルミが訊く。
「コーヒーにごみが入っていたそうなので、淹(い)れ替えに来ました」
 説明をしながら、ふたたびカップの中身を確認する。ごみと言えば言えないこともない、小さな白い糸くずのようなものが浮いている。
「あるわね」
 佐々木ルミが呟いて、新しいカップを用意する。糸くず入りのコーヒーを流しに空けつつ、楓子は思った。
 これ、今のおやじが着ているセーターの毛糸じゃないのか。
 佐々木ルミはカップにコーヒーを注いだ。楓子はまたしても確認する。ごみらしきものはない。
 なるべく埃を立てぬよう忍び足で男のテーブルに戻って、楓子はコーヒーカップを丁重に置いた。
「すみませんでした」
「これだけ気取った店で、高価(たか)い金取って、お客さまにごみ入りのコーヒー出して、平気なのかよ」
 男はまだ文句を言い続ける気らしかった。
「申しわけありません」
 となると、楓子は謝り続けるしかない。
「客商売だろう。もっと気を遣えよ」
 男の毛玉だらけのセーターを見ながら、楓子は思う。早く飲んでよ。じゃないとまた毛糸が落ちる。それを店のせいにされてはたまらない。
「あんた、この店の責任者?」
「違います」
「ただのアルバイトか。じゃ、あんたに話したって、なにもわからねえな」
 男はようやく横を向いてくれた。解放された。楓子はほっとして、厨房に向かおうとした。
「お勘定をしてくれる?」
 呼び止められる。二人連れの女性客が席を立っていた。まだティーポットに半分近く残っている紅茶と、二人の表情を見て、楓子の胸が痛んだ。おやじの怒鳴り声で居心地が悪くなったんだな、とわかったからだ。
「ありがとうございます。すみませんでした」
 レジスターの置かれた台の前に立って、頭を深く下げたのち、店を出ていく二人連れの背中を見送った。こんなことがあると、二度と来てはくれないんじゃないだろうか。自分が経営しているわけではないけれど、ただのアルバイトだけれど、そうなるのはやはり厭だ。
 重い気分で二人連れのいたテーブルの食器を片づけていると、また荒い声が飛んで来た。
「会計」
「はい」
 楓子はいそいそとレジスターに向かう。よかった。早く帰って欲しい。帰ってくれ。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん