連載
ごめん。
第七話 ナニサマ 加藤 元 Gen Kato

 男は倉皇(そうこう)と立ち去った。
「ありがとうございました」
 楓子は女に深く頭を下げた。
「いいえ。お役に立ててなにより」
 女はにっこり笑うと、言った。
「コーヒーのお替わりをくれます?」
「それは、店からおごらせてください」
 佐々木ルミが言った。
「シフォンケーキもつけます。どうか召し上がってください」
 女がもといたテーブルに戻っていく。厨房に向かいながら、楓子は佐々木ルミに詫びた。
「店長、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「あなたは悪くないんだから、謝らなくていい」
 佐々木ルミは素っ気なかった。
「でも、お客さまを怒らせたことは確かですから」
「あなたの基本的人権の方が大事」
 楓子はたまげた。きほんてきじんけん。ひさびさに聞いた言葉だ。
「それにあの男はお客さまじゃないって言ったでしょう」
 佐々木ルミは冷たく言った。
「あいつは、ナニサマ」
「なにさま?」
「そう」
 佐々木ルミは、ほんの少しだけ頬を緩めたようだった。
「お客さまは神さまだと思い込んで、立場の弱い側を責め立てる。そうしたら、言っていいのよ。お客さまは、ナニサマですか? ごめんなさいは引っ込めていい」
 楓子は、ふっと思った。
 わたし、このひとの下で、長く働きたい。

 楓子はコーヒーとシフォンケーキを女のテーブルに運んだ。
「本当にありがとうございました、刑事さん」
 言うと、女は照れたように片手を振った。
「刑事は嘘。大嘘や」
「え?」
「本当はね、私はあなたに会いに来たんやわ、鍋島さん」
 楓子は面食らった。わたしの名前を知っている、このひとは誰だろう。会ったことはあるだろうか。記憶にない。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん