連載
ごめん。
第八話 ごめんじゃすまない 加藤 元 Gen Kato

     一

 ぶ厚い、薄茶の縞模様のカーテンは、ぴったりと隙間なく閉ざされていた。室内は夜のままのような薄闇。が、窓の外はいつしか明るくなっている気配だった。自転車のタイヤが軋(きし)る音。弾むような足音に、犬の吠え声。
 朝なのだ。
 大森剛朗(おおもりたけお)は、ゆっくりとまぶたを開けてみた。視界に入るのは、見慣れぬ白い天井。慌ててまぶたを閉じる。
 ここはどこだ。
 つま先から肩までをやわらかに包む毛布のぬくもり。そしてもうひとつ、あたたかな気配と静かな呼吸。
 ここは俺の家じゃない。俺のベッドじゃない。知っている毛布の肌ざわりじゃない。空気のにおいが違う。女が違う。ここにいるのは妻の季実子(きみこ)じゃない。別の女だ。
 いったいどうしたんだ。どういうことなんだ。
 混乱した意識が、次第にはっきりする。同時に、ゆうべのなりゆきが胸のうちに蘇ってくる。忘れるわけはない。
 いいんだね。
 照れ笑いをしながら、いくぶんうわずり気味に念を押すおのれの声と、囁くような彼女の返事。
 いいですよ。
 夢であってくれればいい。しかし、夢じゃない。つまり、現在が、その結果だ。
 昨日は金曜日だったから、今日は土曜日で、会社は休み。休日を前に深酒をして、破目を外して、こうなった。
 やっちまったのだ。
 一夜のあやまちというやつ。浮気。不倫。
 どうしよう。どうすればいいんだろう。
 剛朗は額に拳を当てて、ひたすら思案を巡らせる。
 取り返しがつかないことになってしまった。こみ上げる自己嫌悪。名状しがたいおののき。そこはかとない恐怖。
 掃き出し窓の上に、黒枠の四角い掛時計が見える。どことなく遺影のような、不吉なデザイン。六時半をまわったところだ。土曜日の朝、こんな時間に眼が覚めるなんて、このごろではめったになかった。たいがい眼を開けるのは八時近く。それでもすぐには起き出さない。タブレットをいじったり、読み残した雑誌を拾い読みしたりしながら、十時ごろまで寝床の中にいる。妻の季実子も似たようなものだ。子供がいないから、決まった時間に朝食を用意する必要もないし、公園やら遊園地やらへお出かけをすることもない。休日はお互いの日ごろの疲れを癒やすためにあるものと割りきっている。
 そう、いつもと変わらぬ土曜日であれば、起きるには、まだ早い。しかし今日はわけが違う。早くはない。遅すぎるくらいだ。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん