連載
ごめん。
第九話 うさぎが転んだ 加藤 元 Gen Kato

「見た目はほとんど変わらないな」
「そのあとで七キロふとったんだ」
 まったく意味がない会話だな。だが、会社の人間と話す味気ない世間話に較(くら)べて、何と安心感がある無意味であることか。
 永二郎はメニューをめくった。
「ビールを飲むか」
「ジュースでいい」
「飲めよ。このあとで、行きたい店があるんだ」
「飲み屋か?」
「まあな」
 島田は意味ありげに笑っている。永二郎は、ははあ、と勘づいた。
「女がいる店?」
 十数年来、島田の口癖は「彼女が欲しい」である。島田の強引な誘いに乗って、永二郎は何十回となく見合い系の飲み会に参加させられて来た。しかし、そこで知り合った女たちとつき合うに至ったことはない。ほぼ毎回、その場限りで終了だった。
 なぜなのか。会話は楽しい。打ち解け、笑い合い、電話番号とメールアドレスを交換する。だが、それまでだ。永二郎は、自分からは電話をしなかったし、メールもしなかった。もし気があれば、相手から連絡が来るだろうと考えていたのだ。だが、来ない。
 おまえは待ちぼうけしている野良稼ぎのじいさんか、と島田には怒られた。うさぎが勝手に跳ねてきて、木の根っこで転げてくれるとでも思うのかよ。実のところ、そうなってくれたらいいなあ、と思っていたのである。そして島田にこんこんと諭されたものだった。おまえは馬鹿か。行動するんだ。自分から積極的に動かなくちゃ、恋人なんて一生手に入らない。おまえだって彼女は欲しいだろう?
 永二郎だって、恋愛はしたい。けれど、無理に恋人が欲しいとは思わない。本来、永二郎は島田ほどの強い欲はなかったのかもしれない。好きでもない人間と一緒にいるよりは、ひとりの方がよかった。ひとりで自動車を走らせる時間は楽しい。愛しい。それは不自然なのだろうか。
 そもそも、恋人が欲しいから行動する、というのは、順序がおかしいように永二郎には思える。まず恋愛があって、そのひとを得たいと思うのが本来の形ではないのか。要は、その後の発展を目的にした「出会い」の設定自体、永二郎は好きではないのだ。あくまで自然体で発展したい欲ならばある。うさぎが飛んできて、木の根っこで転んでくれたらなあ。
 転げないっての、と島田は冷たく言った。少なくとも、おまえの前では転げない。これまでの人生が証明しているだろう?
 そんなことはない。転げたことが、まるでないわけではないのだ。
 中学二年生のとき、同じクラスの内野(うちの)ゆかりから、好きなんですと告白された。それから、つき合うことになった。一緒に学校へ行き、一緒に帰り、日曜日にはデートをした。そしてわずか三ヵ月で別れた。内野ゆかりは言った。あたしたち、やはり合わないと思うの。これがあの日、好きなんですと真っ赤になって震えながらうつむいた女と同じ人間なのか、と思うくらい、表情も態度も素っ気なく変わっていた。
 けれど、まあ、間違いなく一度は転げたわけだ。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん