連載
ごめん。
第九話 うさぎが転んだ 加藤 元 Gen Kato

「おれは変なんだ」
 しかし、永二郎は言わずにはいられなかった。
「ひとりで運転しながら、自動車と喋っている」
 電話口の向こうの吉本佑理は、黙りこんだ。
「昔からそうだ。自転車とか、バイクとか、おれにとっては、ただのモノじゃない。気心の知れた仲間みたいな感じがしていた。だから、走りながら、ずっと喋っているんだ。眼に見えるものとか、ふっと感じたこととか、こんなことはくだらないんじゃないかとか、笑われるんじゃないかとか、そういうことをいっさい気にしないでいいから」
 彼女も、さすがに退(ひ)いたな、これは。だが、言い出しちまったものは、しょうがない。
「島田は、おれがおかしいって言うんだけどさ」
「……わかるよ。おかしくない」
 佑理は答えた。
「わたしはぬいぐるみとよく喋っているもの」
「ぬいぐるみ?」
「わたしの部屋にあるでしょう、白い犬のぬいぐるみ。名前は佐助。こっちが言った言葉をそのまま返すやつだよ」
 そういえば、彼女のベッドの枕もとに、あまり可愛くない顔の犬が置いてあった気がする。
「いつも楽しく喋っているよ」
「どんなことを?」
「里村くんと同じように、感じたことをぜんぶだよ。TVでひどいニュースを観れば、許せないよねえって同意を求めると、許せないよねえって返してくれるからね。読んでいる本がつまらなければ、その文句を口々に言い合う。課長の悪口なんか、毎日みたいに言い合っているよ。あとは」
「あとは?」
「里村くんがあんまり連絡をくれないから、冷たい男だなあ、とかね」
 永二郎は笑い出した。
「おかしい?」
「おかしくない」
 けど、おかしい。
「おれも今度、佐助と話してみたいよ。きっと、盛り上がれる」
「連れて行こうか」
 吉本佑理が、笑いを含んだ声で囁く。
「明日の夜のドライブに、ね」

     *

 ――ごめん。
 おれには、恋人ができた。
 明日の夜、助手席に乗せる。
 おまえとだけ過ごす時間は、これから減るかもしれない。たぶん、おそらく、減ってしまうと思う。
 ごめん。
 おれの前で、ようやっと、うさぎが木の根につまずいて、転んでくれたんだ。
 なにかが変わるのは、仕方がないじゃないか。
 そう言ってくれ。頼む。

 ごめん。
 本当に、ごめん。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん