連載
ごめん。
第十話 小言幸兵衛 加藤 元 Gen Kato

     一

 ――ええ、人間(ひと)によりまして、いろいろな癖というものがあります。癖はいわば性分。しょうがないといえばないものでございます。が、中には厭味(いやみ)や小言を言わなくては気が済まない。そんな性分の人間もいるものです。こういう癖などは、癖のうちでもまことによくない癖でございますが……

     *

 この冬、いちばん冷え込んだ、土曜日の朝だった。
 空は青く澄んでいるが、陽光は差さない、住宅街の細い裏通り。ある木造住宅の二階部分。ひっそりした空気を裂いて、ピンポーン、と玄関の呼び鈴が鳴る。続いてだんだんだんだん、と激しくドアを連打する音。そして大声。
「西浦(にしうら)さん」
 ピンポーン。だんだんだんだん。ピンポーン。
「にしうらさーん」
 ドアの内部、部屋の住人である西浦雛子(ひなこ)は、眠りを見事に破られた。なかなか開きたがらないまぶたを無理にこじ開け、ベッドの上に起きなおる。
 なにごとだ。いったい誰だ?
「西浦さん、いるんでしょう」
 訪問者のでかい声は、玄関のドアからリビングルームを抜け、雛子がいる奥の寝室まで筒抜けである。
「階下(した)の小野田(おのだ)ですよ」
 小野田?
 ああ、大家さんだ。
 雛子は携帯電話を取り上げ、時刻を見る。午前七時十八分。まだ早いじゃないか。床に就いてから、まだ三時間も経っていない。
「西浦さん、出て来てください。緊急の用事なんです」
 何だってんだよ、畜生。ううう。
 うめきながら、立ち上がる。足もとがややふらつく。昨夜は終電の時間まで仕事仲間と酒を飲んでいた。帰宅は午前様になったのだ。そのうえ、よせばいいのに家に着いてからも缶チューハイを二本空けた。体内にはアルコール成分が濃厚に残っている。
 気持ちが悪い。やはりよせばよかった。ううう。
 雛子は、疲れていた。内臓から疲れきっていた。
 もともと酒には強い体質だし、好きだ。ひとりで飲むのも、一対一でじっくり酌み交わすのも、昨夜のように大勢でわいわいにぎやかに飲(や)るのも。しかし、このごろは楽しく酔えないことが多い。毎日毎日、押し殺した怒りや不満が胸に引っかかって、酒とともに飲み下すと胃に堪(こた)える。三十歳を過ぎてから、以前ほどの無理が利かなくなったようにも感じて来ている。
 酔った夜は、眠りが浅い。とろとろしては眼覚め、起きているかと思えばまどろみ、おかしな夢ばかりをみていた。眠ったことは間違いないが、まるで寝た気がしない。昨日の疲労がそのまま持ち越されて、雛子の躰(からだ)を重くしている。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん