連載
ごめん。
第十一話 十四と四十 加藤 元 Gen Kato

 はるか昔、小僧(がき)のころは、自分はいったいどんな女と結婚をするんだろうと、ぼんやり夢想していたものだった。わくわくする出会い。激しく燃えさかる恋の日々。彼女は俺に夢中になって、俺も彼女を愛しく思う。プロポーズは映画やドラマのように盛り上がる。花束の蔭で彼女は泣く。そんな風に考えていたこともあったのに、実際は大違い。彼女は泣いているが、喜びの涙ではない。
 できちゃったのよ。心当たりはあるでしょう。どうするのよ?
 樹美佳のことは好きではあったが、昔の夢想とはだいぶかけ離れている。こんなものなのかなあ、俺の人生は。
 しかし、ほかに道もないような気がした。樹美佳だけじゃない。ママの顔も浮かんで来る。同じ言葉で責められている気がする。
 できちゃったんですってよ。心当たりはもちろんあるんでしょう。どうするのよ、うちの可愛い樹美ちゃんを、どうする気なの?
 自分の家とはずいぶん違う母子関係。いや、母親と姉のあいだには、その種の親密さもあったのかもしれないが、慎次はさほど母親べったりで育って来たわけではない。むしろ、甘えかかろうとするたび、突き放されて来た気がする。男の子なんだから、と言われながら。
 籍を入れ、マンションを購入した。樹美佳の主張のまま、彼女の実家の近所にある部屋を選んだ。会社への通勤時間は一時間四十分。最寄駅は急行の始発駅なんだから、朝の電車に楽に座れるじゃないの、なんて三流の不動産営業みたいな説得を、なぜもっともだと思ってしまったのか。妊娠中の樹美佳の精神状態は不安定だった。落ち込みがちな娘を気遣って、ママは毎日やって来た。夫婦の新生活には、はじめからママがどっしりと腰を据えていた。
 真衣が生まれる。毎日が積み重なる。慎次は一日、会社で働く。週に半分、いや、五日はママが笑顔で待っている毎日。お帰りなさい、パパ。華やいだ声を上げるのは、樹美佳でも真衣でもなく、ママ。
 勘弁してくれ。親子水入らずにしてくれよ。
 そんな本音を口に出すわけにはいかなかった。慣れない夫婦の子育てを、ママは全力で助けてくれているのだ。ママさえいれば、樹美佳には不満がなかった。
 樹美佳を怒らせたくない。面倒くさい。よけいな波風を立てたくない。
 けっきょくは、逃げたのだ。それがいけなかった。
 いつしか、会社の帰りに、寄り道することを覚えた。一軒、二軒と、飲み屋をまわって、酒の酔いと馬鹿話を楽しむ。ただの息抜きのつもりだった。が、一軒の店で、笑い上戸な若い娘と出会った。
 気がついたとき、慎次は妻子を失っていた。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん