連載
ごめん。
第十一話 十四と四十 加藤 元 Gen Kato

     三

 テーブル席に通されてすぐ、恭介が洗面所に立った。
「去年のお彼岸のときは、ここにお母さんもいたのよね」
 咲枝がしみじみと言った。晟一も頷く。
「元気だったのにね。わからないものだな」
 こういう場合、出て来るのは平凡な感想だけなのだ。座がしんみりとした次の瞬間、三人連れのお客が入って来て、奥のテーブルに腰を据えた。親子だ。三十代半ばくらいの夫婦と、幼い男の子。四歳か五歳か。うなぎとは小さいうちから贅沢をさせるものだ。真衣をうなぎ屋へ連れて行ったことがなかったことにふと気づく。ファストフードかファミリーレストランばかりだったな。
「恭介と何の話をしていたの、さっき?」
 咲枝が訊く。
「いろいろ、雑談をね」
 気にしていたのか。そのあたり、まだまだ過保護だな。
「だから、どんな話よ」
 奥のテーブルの男の子が大声で、ハンバーグが食べたい、と叫んでいる。やっぱりな。
「なによ、にやにやして」
「そこのテーブルだよ」慎次は声をひそめた。「お子さまに、うなぎはまだ早すぎるんじゃないか」
「わたしたちだって、けっこう小さいころからこのお店には連れて来てもらっていたじゃない」
 咲枝はじれったそうに慎次をにらんだ。
「それより、さっきは恭介となにを話していたの。教えてよ」
 おやおや、本気で気にしている。慎次は苦笑した。
「学校のことだよ」
「進路の話? どんな風に言っていた?」
 もう中学生だし、反抗期だしね。すっかり手も離れたわ。ついこのあいだもそんな風に話していたけれど、何のことはない。まったく手を離してはいないのだ。
 母親というのは、そういうものなのだろうか。

 慎次は、これまでずっと、咲枝の恭介に対する態度に驚きもし、感心もして来た。
 恭ちゃん、整った顔をしているわよねえ。モデルさんになれそう。
 恭介が赤ん坊のころ、咲枝が真顔で言い放ったときは、耳を疑った。常に冷静、かつ皮肉屋の姉が、ただの馬鹿親になってしまったのだ。慎次が、旦那さんの顔に似ている、と言っても、聞き入れない。似ていないわよ、と突っぱねる。似ていなければ、困るじゃないか。言うと、ふてくされたように返す。
 似ていた方が困る。
 当時の咲枝は、慎次から見れば無茶苦茶だった。
 恭介、洗っても洗っても、頭が汗くさいのよ。
 その言葉を、恍惚(こうこつ)とした表情で言うのだ。そして、うっとりと続ける。
 この汗くささ、たまらなく好きなの。
 もはや変態の域だ、と慎次はあきれた。ついて行けない。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん