連載
ごめん。
第十一話 十四と四十 加藤 元 Gen Kato

 起きているときはへとへとになるし、腹も立つ。けど、寝ているときは天使ね。咲枝のただならぬ愛は、恭介にもじゅうぶん伝わっていて、このころの彼の口癖は、ママとけっこんする、だった。
 姉ちゃん、これまでこんなに男から愛されたことはなかったんじゃないの。
 冷やかしのつもりで言った。が、咲枝はあっさりそれを認めた。
 そうね。今までもなかったし、これからもないでしょうね。
 慎次はいささか驚いた。旦那である晟一の立場は? 咲枝の答えはにべもなかった。論外。
 理想の男って、本当にいるんだなって、この子を産んではじめてわかった。この子はいつだってわたしを求めてくれる。わたしだけを呼んで、泣いてくれるのよ。何の邪念もなく。そんな男、この子しかいないじゃない。
 そのときは、姉の言葉をただ笑い飛ばしていた。しかし、何年も過ぎるうち、少しずつ考えが変わって来た。
 うまく愛情を示せたとはお世辞にも言えなかったにしろ、慎次も真衣を得た。眠っている顔は天使。その言葉は本当だなと実感もした。パパが大好きでいてくれた時期もわずかながらあったのだ。
 それなのに、自分は、真衣を裏切った。
 妻だけではない、娘をも裏切ったのだ。

「受験の具体的な話はしていないけど」
 女性店員がテーブルの上にお茶の入った湯呑を並べる。慎次は笑いながら言った。
「恭介も、しっかりして来たな。あいつなりに考えているようだよ」
「そう?」
 晟一が眼尻を下げながら、店員にビールを注文する。
「あいつ、親父にはなにも話してくれないんだよ。そうかねえ。考えているのかねえ」
 姉もだが、この義兄もかなりの親馬鹿なのだ。
 奥のテーブルでは、ハンバーグが食べたい、カレーが食べたい、と男の子が叫びながら、座っている椅子をがたがた揺らしている。危ないからやめなさい、と男の子の母親が注意をしても、やめようとはしない。
「ちょっと前までは、恭介もあんなだったのに、大きくなるのはあっという間ですね」
 晟一に向かって言うと、咲枝が薄笑いで返して来た。
「あんたも昔はあんな風だった。お母さんをずいぶん困らせていた」
 姉のひと言は、ぐさりと慎次の胸をえぐる。
「俺は素直な子だったよ」
「素直と言えば素直だったけどね」
 またか。馬鹿と言いたいんだろう。慎次は胆(はら)で毒突く。自分だって親としては馬鹿まる出しのくせに。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん