連載
ごめん。
第十一話 十四と四十 加藤 元 Gen Kato

「わたしは素直じゃなかった」
 咲枝がふと視線を落とす。
「死ぬ前の日にだって、電話で恨みがましいことを言っちゃったりした。最後にあんな思いをさせたまま逝かせたと思うと、やりきれなくてね」
「今さら言っても、しょうがないだろう」
 晟一がなだめるように言う。咲枝が頷いて茶を啜(すす)る。
「わかってはいるんだけど、ね」
 慎次も湯呑を取り上げ、口もとに運ぶ。茶はかなり熱かった。慎次はそのまま湯呑をテーブルに戻す。
「あんた、いまだに猫舌なの」
 咲枝が鼻を鳴らした。
「本当に変わらないわねえ、あんたって」
 そうだ。俺はちっとも変わらない。だから、たぶん、俺の方が、後悔はもっと多い。
 咲枝を見ていて、いつも考える。母親も、咲枝と同じように感じ、咲枝と同じように、慎次に期待をかけたことがあったのだろうか。
 そうして、自分は、いつも母親を失望しかさせて来なかったのではないか。
「うなぎ、もう頼んじゃった?」
 洗面所から戻って来た恭介が、慎次の隣りに腰を下ろした。
「戻って来たのか」
 慎次は立ち上がった。
「じゃ、次は俺が行って来よう」

 ――おじさんは、大人じゃないか。

「危ない」
 女の悲鳴。
 どすん。
 鈍い音。落ちて来た物体を慎次は中腰で受け止めていた。
 痛い。そして、重い。
 慎次の腿(もも)に、男の子が乗っている。眼をまんまるにして慎次を見上げている。床には椅子が転がっていた。ハンバーグだのカレーだの口走りながら、椅子をぐらぐらと揺らしていた男の子が、バランスを崩して倒れて来たところを受け止めたのだ。男の子の全体重が椅子の角とともに腿に激突。理解すると同時に、痛みが増した。
 痛い。痛(いて)えええと唸(うな)って泣きべそをかきたい。それほど痛い。
「だからさっきから危ないって注意をしていたでしょう」
 母親が男の子を叱りつける。父親が立ち上がって男の子に手を差し伸べる。
「怪我はなかったか」
 それは俺にも訊いてくれ。
 言いたかったが、声が出ない。男の子が顔をしかめると、真っ赤になってぐずぐず泣き出した。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん